2015年04月10日

議会に寄せる町の人の声

昨日の夕方、町の方から電話がありました。
(非通知ではなく匿名でもない電話です(笑))

「もしも選挙がなく、無投票になっても、もしも、選挙になって投票することになっても・・・立候補の人がどんな人なのか?分からないですよね・・。開かれた議会、とは最近よく耳にしますが、選挙も開かれなきゃならないと思うんです。
私は、これまでの斜里町の議員さんも、どんな人か良くわからないんです。応援している議員さんだけを知っていても、それでいいのかしら?と。
そんな状態で、もっと関心を持って、とか、情報公開とか・・それって、おかしいと思いませんか?」

と言う内容の電話でした。
少し、似た問題提起として以前書いた、ブログのことを話しました。
(そのブログはこちらから・・・クリックしてください。)

そして、斜里町議会が発行している「議会広報」について、同じような話が、2月に発行された166号に掲載されていたので、とおっしゃっていました。
(その広報はこちらから・・・最後のページの部分です・まちの声)

2年ほど前からインターネットを使っていろいろなものを見たり、調べたりしているとおっしゃるこの方は、議会広報で前期、今期の議員紹介のページについても「良い取り組みですね」とおっしゃってくださり、さらに具体的な情報も入れるべきとおっしゃってくださいました。

当たり前のことですが、関心を持ってもらう、一緒に取り組む、住民参加、情報公開、さらにはみんなで地域活性を!と言う基本的なまちづくりに必要な事は、一番に「情報の共有」です。
当たり前で、よく使われる言葉ですが、これを実行できていない事が、とても多く、結果的には消極的なまちづくりになっているのも事実。
では、どうやって「情報の共有」を計るのか?方法はたくさんある方が良いはず。
広報などの文字による発信・ネットでの発信・実際に会うこと・口コミ・マスコミ・・たくさんあります。

ずいぶん共感できて、そうそう、と言うお話が続いた電話から思ったことでした。
できるところから変えていきたいですね。

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まだ、小さな芽ですが、3ヶ月後には花が咲きます!
ラベンダードリーム・バラ

posted by あとむ at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 議員活動

2015年04月09日

こんな問い合わせ(取材?)が

先日、某議会関係調査?団体の取材をされているところから、いくつかの点で問い合わせがありました。

*大きな一つめは
毎議会ごとに、議会報告の形で発行している「議会レポート」について、どのような視点で発行されているのか?どれくらいの部数を作っているのか、郵送するまでの作業、発行に有する金額・・等などでした。
驚かれたのが、政務活動費は支給されていない中で、やられているのか?ということ。34号まで一回も休まずに続けているの?とも。

議員は首長と違い、政策などの約束はできません。
町を、もっと良くしていくために取り組みたい方向性などは持てますが、具体的に予算の伴うものに関しては、なにをやります、かにをやりますと言うことは言えるわけがないし、ウソになります。
8年間に立候補を決めたときからの私の約束である「分かりやすく、議会の様子、自分の考え、活動の内容を伝えます」を守って実行しているだけです。を、話した。

「議会レポート」は発行1号からホームページにもアップして公開。
郵送料がもったいないと、このHPで読んでくれる人も多い。
この議会レポートの発行は、これをお届けする役目の他に、自分でもう一度、議会の内容を振り返り検証できることにもつながり、政治や施策に疎い自分にとっては勉強にも、気づきにもなる場になっている。
そんな話をさせていただいた。

*そして2つめが
昨年の(2014年)1月の臨時議会(第一回)の件について・・と言われ、あれ???どのような議案内容だったのか受話器を持ちながら議会のホームページを開いた。
決算報告のところだという。(ご覧になるかいましたら、6〜9ページあたりですね)
そして、こう言われた。「ちょっと驚いたのですが、討論の部分で、反対討論をされた桜井議員に対し、賛成討論をされた議員、その後、さらに賛成討論、さらに賛成討論、さらに賛成討論が続きました。しかも内容は、反対討論と対峙するような内容と離れたものもありましたが、お宅の議会ではこうしたことは良くあることなのでしょうか?」というものでした。

私も、いままでいくつかの反対、あるいは賛成の討論をさせていただきましたが、今回のようなことは初めてで、中継をご覧になっていた特に他町の議員さんからはいくつかのメールとお電話をもらいました。
しかし、自分自身は大した問題ではないと思っています。むしろ、自分も私と同じ意見であるが、この場では反対を言えない状況という議員さん(複数)の声を伺っていましたので、その方が釈然としない思いでした。と、話をしました。
議会のルールと言うものに対しては、それぞれに理由があり、普段の生活の中では「そういうものなの?」というものもあります。この討論の後の休憩時間の時に、議事を司る議長にこの点を伺ったときには「議員同士の議論を活発にさせようと言う意図もあり、発言を許可された。と言う話も伝えました。
「それに、納得された?」と言われ「そういうものか」と思うだけだったことと、先に書いたように議会のルールについてはあまり関心がないので・・・と答え、誤解のないようにとも付け加えました。

他にも、いろいろと議会について、あるいは議員活動について話を聞かれました。
どのように、今回の取材が使われるのか分かりませんが、最後に、私は、私の活動を直接支えてくれている後援会の話もさせていただきました。
議員活動は一人ではできません。選挙の時だけの後援会ではない人達と、いつも町のこと、課題、提案などの会話が続いています。そして、レポートを読んだ方からの声も寄せられてできることだと思っています。

今日の北海道新聞に掲載されている 法政大学の広瀬克哉氏の「住民と議会 無関心 議員の質を下げる」を読んで、先日の取材電話を思い出しました。

でも、日々、これでいいのだろうか?と言う思いがつづきます。
できることを、コツコツと続けるしかないですね。
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まだこんなに、雪が残っています。我が家のウラ
posted by あとむ at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | まちづくり

2015年04月08日

女性議員が増える!斜里

暖かな日が続いていたので、油断していたら、突然気温が下がりました。
三寒四温・・
それでも、陽射しは十分に強くなっています。

14名の議会定員。
2名が抜けて、元議員が出るとのこと、残り1議席は?といろいろと話が出ていましたが、なんと!女性の方が出ることになったそうです。
しかも!40代!(と、聞きましたが・・本当かな?でも、確実に私よりは若い!!)
これで、(もちろんこれから、選挙が終わらなければ分からないし、)
まだまだ、(流動的な動きはあるし・・・とは言え、)
仮ではありますが・・・

30代1名 ●
40代1名 ●
50代1名 ●
60代9名 ● ● ● ● ● ● ● ● ●
70代1名 ●
80代1名 ●
合計 14名(現在の年齢表示)

となる訳です。ちょっと控えめに視覚表現もしてみました(笑)

これまでの2期は無投票当選と言うことがなかったので、選挙になって欲しいと思います。
どうなるでしょう。
私の後援会では、みんなが選挙になって当然と思いながら動きなさいと言うことで、準備を進めています。
ポスターも出来上がってきたし、
あとは・・ハガキの印刷準備ですが、これも、みんなのプリンターで手分けして印刷予定なので、Wordでデーターを作っておくことに。
ずいぶんいろいろな方々と話をさせてもらえる機会が増えています。
斜里のみなさんは、一生懸命に考えています。この町がもっと良い町になるようにと。

そんな思いに、私も私にできることをがんばろうと言う気持ちで、やっていけたらと、思います。

いろいろな、世代、女性、立場の人達が議会にも増えて欲しいと思います。
バランスという価値観の広がりが今後も生まれることを願っています。

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まだ、早い気もするのに・プリムラの仲間

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君は綿毛でフカフカだから大丈夫か?ラムズイヤー







posted by あとむ at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ・・思うのですが・・

2015年04月04日

非通知の電話が来た・・

「斜里町議会の質は低い! そうは思わないか?」

土曜日の午後、陽射しが眩しい家の中で電話が鳴りました。液晶画面を見ると「あ・・・」
「非通知」です。受話器を取ることをためらいます。が〜知り合いに二人、よく電話をくれる人が「非通知設定」になっているので、もしかしたら?と受話器を取りました。

そして、第一声が一行目の言葉。
その後も、議員に何故、定年制がない?多選についてどう思っている?議事録を読んでみたが、認知症の検査は受けているのか?などなど、ずいぶんな言葉が続きました。

知り合いなんかじゃなかった・・・(今度、知り合いには非通知設定はやめてね!と、言うわ)

話は議員がこの4年間、「何をやって来たのか分からないじゃないか!・・おかしくないか?」と言う。
結構長い時間、一方的な話に相づちを入れながら聞いてきたけれど・・そろそろ、私も聞きたいことが多くなってきたので質問してみる。
「町の皆さんが選んだ議員です。あなたがおっしゃることを、ご自分が応援された議員さんに聞いてみてはいかがでしょう?なぜに、私にそのようなことをおっしゃるのでしょう?」と。
すると「騙された。もっと、しっかり動くと思っていた」と。「貴女は、こうした現状をどう思っているか聞きたかった」と。

議会は議員で構成されています。でも、個々の考えやスタンスを持つ人で構成されていますから、本当に議員個人の活動はそれぞれなのです。中には党員として動いていらっしゃる方、地域の代表的に選出、推薦された方、あるいは団体組織から推薦された方など、いろいろです。
「やはり、ご自分が応援された議員へ直接お話しされた方が良いと思います。」

その後も、しばらく、様々なことを話されて、電話は終わりました。

8年前に、立候補を決めたとき、我が家の電話は「ナンバーディスプレイ」になっておらず、今、思い出しても手が冷たくなる感じの、怖い電話が数件ありました。
「斜里の人間でもないのに立候補などふざけるな」
「親戚がいなくて勝てると思うな」的な電話が多く、しばらくは電話の音にビクビクしました。
4年前はそんなことはなく、電話、ハガキ、メールでいろいろな課題や、町に対する政策などの内容が多かった記憶があります。今回も「議会レポート34号」への感想や、同封した「討議資料」に関する感想が届きます。

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今回の「非通知」の電話は、私にとってはため息の出るような電話でしたが、でも、この電話の方は、きっと町のことを一生懸命に考えているんだ、なんとかしようと思っているんだ、と言う思いが私の中には残りました。

「後援会討議資料」の中にも書かせていただきましたが、議員活動は一人ではできるものではないと思います。
一緒に、町のことを考える仲間の意見や、アドバイス、時には批判、議論があって続けられるものだと思います。

非通知の電話の方は、時々、私の議会レポートを読んだことがあるのだそうで、そこのところだけは褒めていただけました。みんな、この町がもっと今以上に良くなることを願っています。同時に、そんなにこの町の暮らしに不満があるのだろうか?とも思います。きっと、もっと良くなると良いなぁ〜と言う気持ちと、だからこの町は嫌なんだ、不満なんだと言う気持ちはイコールではないと思います。

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合う人、会う人に「選挙になるの?議会は?」と聞かれます。
選挙になってもならなくても、やることはしっかりあります。
それを、しっかり準備して選挙運動期間、がんばるしかありません。
posted by あとむ at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ・・思うのですが・・

2015年03月31日

知床暮らし30年・退職

申し訳ないほどプライベートな事ですが・・我が家の暮らしの基礎?
オリジンなので。あしからず。

1985年3月30日、日曜日だったかな・・まるで「フランシーヌの場合は・・・」みたいなフレーズの時節。銀座で友人がお別れ会を開いてくれて・・そのまま、竹芝桟橋からフェリーに乗って北海道釧路へ向かって航行中が、ちょうど30年前の今日だと思う。
4月1日に上陸して、4月2日に斜里へ来た。
風が強くて「馬糞風」というのだと教えてもらう。
現在の国保病院前の、ちょうど新しい図書館の一角にある家が、借りることのできた我が家。
荷物が全部届かずに、家にポツンと電話機があったことを覚えている。

5月から博物館の発掘調査のアルバイト。以久科の谷田遺跡だっただろうか。
斜里町で初めて購入されたパーソナルコンピューター。小さなデジタイザー。自動製図機のプロッター
ベーシックとフォートラン・・・現場ではハンドヘルドデーター入力・・

それから、知床財団、そして斜里町役場の臨時職員と、気がつけば30年。
夫は今日、退職しました。臨時職員なので毎年の契約?正職員のように再任用制度は適用されず。

画像処理や最先端技術の仕事、調査作業や環境アセスなど、面白そうな仕事だったのに、都会ではなく自然豊かな土地での暮らしを選んで来た彼は、生活の場の環境を変えただけという中で、とても(私から見ると信じられないくらい)まじめに仕事に向かっていたと思います。
30年間、仕事についての課題や問題点は口にしても、愚痴は聞いたことがなく、役場の臨時になって、地元のコミュニティ施設の役割もある漁村センターでは、使う人のことをいつも考えて仕事をしていました。
小さな子どものために、健康のために、塩素素材のものは使わず・・化学薬品も極力減らし、きれいな空気を保ちたいとか。

色々あったけれど、お疲れ様、と今日の朝に話をしていました。
「斜里町に感謝している。30年間、お世話になったので、お礼を言ってくる」と、最後の挨拶に出かけていきました。
争いや、欲望で動くことを嫌い、調和や和やかな空気が大切、冷静で良く見て、考えて、流されたりしない
・・・何よりも、地域が大好き、人が好き。つまり、言葉を換えると頑固な人です。すごい量の本を読み(2階の床が落ちないか心配です)

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いただいてきた花束がきれいです!

バタバタと突っ走る私にとっては、先走り走り出しても「あれ?大丈夫かな?」と思った時は振り返り「どうだろう?」と問いかければ、けっこうキッパリと善し悪しを指摘してくれます。
きっと、私のブログなどはほとんど読まない人なので、こうしてけっこうなほめ言葉を並べていても、気づくことはありません。
「ほめている」とは言っても、日常はどこも同じ(笑)
出しっぱなしを指摘して、「・・・ったく〜」を連発する生活は変わりはしませんが。
「ひとくぎり」
お疲れ様でした!

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これからも、健康に気をつけて暮らしましょう!
posted by あとむ at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 会話から

2015年03月29日

ウトロ自然保護官・送別会

知床国立公園、世界自然遺産の管理を行う環境省。
ウトロに住んでいると、なにかと私たちは「環境省の人」とのつながりや関わりが多くなります。
観光関係の方は、さらに深く関わっていきます。

今夜は、まだ・・2年に満たない時間しかいなかった、保護管の送別会(主催観光協会)でした。
話しやすくて、信頼できて、知床のことが大好きになってくれていたのに、ちょっと残念でした。
でも、本庁に戻る形で、栄転?だって。

前任の人、さらにその前任の人達含めて、ずいぶんと議論を交わしたし、知床の魅力についてとても真剣に考えている人達だと思います。
宴会の席で、まだ知床五湖に高架木道ができる前、笹藪を歩きながら、コースを検討したことを思い出しました。
とても、多くの人達でここ、知床の自然は守られているのだと、新ためて感じました。

知床を離れても、ここのこと忘れずに、今度は遊びに来てくださいね。
お疲れ様でした。(明日は、別の集まりで送別会・・があるので、じっくりお話はその時に(笑)
posted by あとむ at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | まちづくり

2015年03月27日

斜里町の選挙・あれこれ

やっと、やっと、3月議会の報告を書いた、私の議会レポートNO34ができあがりました。
印刷が終わって、届いたリーフレットを同封して、発送しました。
3月中に出来上がってよかった!と一安心。

リーフレットを持って、少しずつ歩いて回ります。
そうそう、看板も一枚追加しました。斜里の本町に立てさせてもらえます。
ポスターもやっと入稿。予定通りに仕上がりますように。
4年前を見ると、4日営業日で発注している。今回は7日営業日の発注。

残る作業は・・・運動期間中の街頭でマイクを持って話す場所を決めること。
ハガキの裏表のデザインを作り、汎用データーにすること(みんなのPCで印刷するため)
あ・・・タスキの手入れ(すこし名前の文字がはげてきていたり・・)

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先日、水辺の近くを走ったら・・
アオサギが帰って来ていました。春は確実です!が、
その前に、しっかり選挙・・・です。


選挙は、現在の選挙は決して効率的とは言えないシステム。
何故に、改革されないのか?

立候補を噂されている方の所へ、後援会長と一緒に突撃突然の訪問。
いろいろとお話ができ、いろいろとお話を伺うことができて、考える事が多々ありました。
それぞれの思いを持ちながら立候補するのです。
とはいえ、選挙運動とは立候補する人のためのものものではなく、有権者のための時間であるのだと行く先々で言われます。自分の町の町長が、議員が町民から選ばれる、その判断に値する情報をしっかり発信しているのか?普段からの政治活動や、議員活動が大切とは言いながらも、選択すると言う権利に対して、もう少しできることがあるのではないだろうか?と、考えます。

さて、まだまだ、やらねばならないことたくさんですが、まずは、明日はレポート配りをがんばろう!
posted by あとむ at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | まちのこと

2015年03月20日

選挙準備・看板

選挙が近くなると、街の中に看板が立ち始めます。
この看板って、どこに立てても良いものではなく、事前に設置場所の申請をしてシールをもらって立てなくてはなりません。立てる場所にもいくつかの条件があるそうです。

「みんな見る?かしら?」と言う、そもそもの疑問がいつも交わされます。
事務所となる自宅の前には「後援会事務所」の文字入り。
目立つ色で、みんな様々。
8年前の今ごろ、看板屋さんに注文をして作ってもらった看板は、桜色!
桜色に黒の丸文字。
選挙のネット解禁の取り扱いで・・看板の写真を掲載しても大丈夫なのか・・良く分からないので今回は掲載しませんが「キャバレーの看板かと思った」等という声も以前はありました・・。それを言えば、他の方の看板だってね〜と思いましたが、慎みます(笑)
以前、看板ってどれくらいの値段で作ってもらいましたか?と言われたことがありました。8年前は一本が7000円だったかな?とてもしっかりしていて、塗装もまだまだ。今回も活躍してもらいます。

でも、もしかしたら、あと一本、必要になりそうなので、今回は「自分で作るか?!」と後援会での話。
手作り選挙ですね。来週のお天気の良いときにがんばって作ります。
でも、設置するにも今年はまだ雪が多くて・・埋まってしまうかもしれません。

今日、3月20日は立候補者予定者への選挙運動、届け出、その他に関する説明会です。
私は、実は、明日からの知床自然愛護少年団の準備もあるので出席しませんが、後援会の仲間が参加してくれます。いくつか、変わったことやネットの対応などの説明があると思います。
来週には議会レポートと一緒に、後援会討議資料も送られる準備ができそうです。
サクサクと、しっかり動いて行かなくちゃ!

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posted by あとむ at 11:15| Comment(0) | TrackBack(0) | まちづくり

2015年03月18日

選挙準備・選挙カー

選挙運動期間中にスピーカーをつけて、ウグイス嬢と一緒に走り回る選挙カー
立候補に至るまでには、いろいろな書類や準備が必要になります。
選挙カーも、事前に審査を受けることになります。

1回目は自分の車でしたが・・マニュアル車だったのでみんなに不評。
グリーンの車体にマグネットのネームを貼り付けて走りました。
2回目はまるで同じ車を持っている友人から借りて。
同じだったけれど、これはオートマッチック。みんなに好評(あたりまえ・・)
そして今回は、これまでとは違う車。
同じなのは、マグネットのネーム。
しまい込んでいたので、ラグの下にひいて伸ばしている最中。
審査のためのイラストを描いて・・の作業。
これ、どんな車かわかるかな?
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キャリアルーフのついている車を借りました。ありがたい・・。
運転する人の免許証をコピーで提出。車の仕様も提出。マグネットネームの位置も・・
斜里町内は広いけれど、今年は5日間の選挙運動期間中のうち、2日間を「自粛」(つまり選挙カーを出さないことに)。
前回と前々回は1日(中日)自粛。新人は自由。
今日、その話を町の人にすると・・「なんで?なんで有権者に呼びかける任務をなくするの?」と言われ、返す言葉がなかった私。
申し合わせと言うことで、現議員が納得した「自粛」だけど・・
誰のための、何のための自粛なのか、上手く説明ができなかった。反省です。もちろん、病院、教育機関、福祉施設などの近くでは静かに。横断ほどの音も聞こえなくなると危険なので配慮は当然ですが。
「4年間で引っ越してきた人もいる。どうやって立候補者を選ぶわけ?情報はどうやって発信するわけ?
親戚、同級生、お仲間でやる選挙だけではないでしょうに・・」と言われまくり。

と言う事で、でも、今回は「自粛」に従って3日間、一生懸命に「つじだち」街頭演説を中心にがんばるかな。
名前の連呼で伝わるものではないけれど・・ステキな選挙カーでがんばろうかな。と、思っています。


posted by あとむ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年03月17日

旅することと速いこと

議会も終わり、私にとっては議会終了後に作る「議会レポート」が、けっこうな時間をかけることと、来月の選挙に向けての準備でバタバタしている最中に。
長距離寝台列車のトワイライトエクスプレスと北斗星がサヨナラだったと「ありがとー」と言う声が響くテレビに気持ちをむけつつ。
「なんだか、納得できない」気持ちがありました。

学生時代には、釧路(根室だったのか?)ー小樽(だったと思ったけれど)の夜行寝台各駅停車(鈍行)の「からまつ」なんていうのがあって、リュック背負って周遊券を手にした私にとっては、これが旅の始まりでした。
それでも、寝台車両に乗るには勇気とお金が必要でした。寝台は上・中・下段がありました。

一度、釧路の駅の窓口で、「西鹿児島まで一枚」と告げて切符を手にして旅をしたときも(ずっと列車を乗り継ぎ)この鈍行寝台のからまつに乗りました。

新幹線が延長になり、延伸になり、どんどん移動の時間が速くなり、近くなった、近くなったと。
それはそれで、良いことなのでしょうが、はたして旅を誘うことになるのだろうか?
旅の楽しみの選択肢が消えていくことは、もしかしたら、旅の文化にとっては貧しいことにつながらないだろうか?などと思っています。
憧れのシベリア鉄道(ちょっとだけ乗ったけど)は始発から終点まで行きたいあこがれ。
オリエント急行は、憧れ以上の夢。いくつかの大陸横断鉄道だって、飛行機で行けば?なんて言われないでしょう。小さな国、日本ではあるけれど、移動のため時間をかける楽しみが旅と言う人もいるだろうし、目的地に速く時間をかけずに到着して、そこで遊ぶ人もいるでしょう。
遊びに行く、と、旅に出ると言うなんとなく違うんだけど・・と思う人は、少数派なのでしょうか。

東北から北陸を走った夜行寝台の、あの懐かしい停車駅の夜中の風景。
明け方、蒼い景色が遠くへ来たことを感じさせてくれたのは、移動した距離と時間が作り出してくれた郷愁だったりした。そんな旅の選択肢が、なくなってしまったようで、ちょっと寂しく残念に思った、弥生3月でありました。

さみしいなぁと。
posted by あとむ at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | まちづくり