2011年05月07日

我が家でもヘッジ・ロウ

ヘッジ・ロウって言うとなんだかヨーロッパ?のイメージですが、早い話が生け垣や石垣ですね。
昨秋、我が家のウラにあった大木のポプラを切り倒しました。もう、大きくなりすぎて枝が折れやすく、危険になっていました。そこで、「達人」にお願いして、大変狭い諸条件の難しい中、みごとに切り倒しました。他にも、ドイツトウヒとイタヤカエデを倒しました。もちろん、ほとんどが我が家では薪になります。丁寧に枝を払い、輪切りにしてさっそく薪割り、そして積み上げる作業に入りました。

問題は大量の枝。少ない量でしたら、外作業の時に暖房としてたき火にしていましたが、今回は量も多く、場所も我が家の土地ではないので片付けを考慮していましたが、以前から「なんとかならないだろうか」と思っていた場所に浸かっていることにしました。
そこで、参考になったのがヘッジ・ロウ。

例えば、以前はよく見かけていた畑の境界などにあったこんもりした繁み。あれは、畑を開墾したときの枝や表土を畑の境界に盛り上げて作ったもの。これが、ヘッジロウです。最近は畑を大きくするために、また、有刺鉄線や柵などに変わりつつありますが、この繁みが実は大変環境上では多様な生物や植物の残る場所になっています。

まったく、そんなに大袈裟ではなく「なんだ〜これ?」と言うものですが、我が家のウラの地形に大きな段差があり、その表土がむき出しになっていて、そこの端っこに立っている樹齢80年以上の桜の大木の根が一部むき出しなっています。そこの斜面に杭を打ち込み、その間に枝を編み込むようにして積み重ねて土の流失を止めるためと、やがては朽ちてしまう枝や葉っぱをそこに貯めていこうと思い、せっせと枝を積み上げ、編み込み、やってみました。そのうち朽ちてしまうでしょうが、その時にはまた、新たに積み上げていこうと。

恒久的で一度作ると手がかからないもの・・長持ちするもの、頑丈なもの・・を私たちは構築物や工作物に求めがちですが、でも、生け垣や、里山、こうしたヘッジ・ロウのような畑境界にもなる防風林など、季節ごとに人が手を加えていく整備も必要だと思います。春の山菜、秋の木の実も自分の畑の際で調達できました。確かに、枝打ちや、点検、補修など時間と手間がかかります。それぞれの立場での選択も必要になることですが、こうして残ってきている景観や取り組みが、再発見されて復活しているところもあります。

替えていかなければならないものもたくさんありますが、変えずに継続していく価値あるものもたくさんあります。そんなことを考えながら、この連休にせっせと、薪作業に励みました。

昨日、夜に初議会に向けて会派の集まりがありました。そこで、議会でも今までのような会派による割り当て役職人事はそろそろ止めるべきではないか、そう言う時なのだという話がありました。私は同感です。変えること、変えないこと、この考えの根拠は常に「町のためになるだろうか?」と言うことが基本です。議員が名誉職であったり、役職ほしさ、勢力争いであってはならないと思います。

細い枝で、腕にたくさんの擦り傷を作っていました。その擦り傷が痛さよりも痒くなってきました。
今日はお世話になった方の、一周忌。喪服を着てこの擦り傷だらけの腕を隠して、お参りしてきます。
posted by あとむ at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の庭仕事
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