2011年03月17日

思いは、みんな一生懸命

議会が終わったので、これから議会レポートを作成しなくてはなりません。
今回は色々と忙しくなるので、少しできる部分は先に書いておこう・・と思っていたのですが、それは使い物にはなりませんでした。

今回の大きな災害は、本当に私たちの想像を大きく超えたものだったと思います。地震と津波。
そして、原子力発電施設の事故です。
以前、北海道電力のプルサーマル施設について斜里町内で説明を聞く機会がありました。その施設の必要性と安全性を話していただきましたが、私にとって原子力は人の手におえないものと思っています。それは、これまでの様々な事故や経験から私たちは学んでいるはずです。
人知の限界を超えた対応などはあり得ないのです。
単純に「原発推進派と原発反対派」等という区分は無意味だと思いますが、これから私たちはいくつかの選択をしていかなければならない時が来ると思います。

さて、昨日、斜里町から義援金の募集チラシが入りました。その後、色々な方から電話がありました。中には私の家に来てくれた方もいらっしゃいました。
「救援物資は受け付けないと書いてあるから、どこに持ってい行けば良いのか?」
「個人でも(募金)取り組んでくださいと言うが大丈夫か?」
「ウトロの雇用促進住宅など、開いている住宅の情報を出してはどうか?」
「被災した人を、とりあえず斜里町に連れてきて避難させてあげられないか?」
「必要で不足している物資を言ってくれれば提供したいが、どうすればいいのか?」など、本当にみなさん色々と考えて、できることの道筋を探していらっしゃいます。
被災地でも「情報が欲しい」という声がたくさんありました。
被災していない地域では「何ができるのか」「何かしてあげたい」という思いをどうすればいいのか・・と言う情報が欲しいのだと思います。

町では町職員の方に「ウトロの雇用促進住宅については厚生労働省関係の管理先に問い合わせ、利用する準備はしている」という確認をしてもらいました。
救援物資は、各被災地でも個人支援物資の受け入れをしていない所もあり、また、本当に必要なものを迅速に送るためにも流通の妨げ、または仕分けの手間を避けるためにも大口の支援物資を優先すべきだと私は思います。「受け付けない」というのではなく、受け入れない、現状では送ることはできない理由を書いて欲しかったと思いました。
「個人での募金の取り組み」というのは本当に親しい人同士で行う方がいいでしょう。神戸の震災の時も知らない人がお金を集めに来たりしていましたが、はやりはっきりとした団体に行うべきだと思いました。

被災した人を受け入れる体制も、これから求められる事になるでしょうが、この、遠く離れた斜里町が、今、早急に受け入れが現実的に良いのかということも含めて、北海道や国、自治体の連携の動きを待ちましょう。

本当に、みんなの思いは同じです。みんな一生懸命に「何ができるのか」について考えています。

今日、夜に議員会主催の議員懇親会があります。その実施については一時、取りやめにしてその費用を義援金にと言う方向で調整していると連絡がありましたが、昨日夕方に議員会会長名で「予定通り実施する」というFAXがありました。懇親会の冒頭で義援金についての協議をするとのこと。
たしかに、予定をしていたお店をキャンセルなどしては迷惑であることも理解できます。過剰な自粛は町の経済活動、強いては産業の衰退につながると思います。・・だったら、今日の懇親会、せめてアルコールを控えるなどの対応くらいは考えているのでしょうか。
「まずはビールで乾杯」等ということになるのでしょうか。
もちろん、議員会の懇親会や活動については会費(月に一万円)で運営されていますので、公費などの出費はありません。
きっと、アルコールもみなさん、召し上がると思います。(多分・・・)二次会?はどうだろう。

どこまでが「普通の感覚」と言って良いものか分かりませんが・・4年間の議員活動では、まだ「?」が多いこの世界でもあります。


posted by あとむ at 11:40| Comment(2) | TrackBack(0) | まちのこと
この記事へのコメント
初めまして、照れ屋な者です。

今日、ラルズなどの店周辺に行きますと、お店の入口前の道に、歩いてくる人の左右一列に8人ぐらいで並び、寄附させようと圧力をかけるような募金活動をしている方々がいました。


行き過ぎた募金活動は、個人の意思による行為ではなくて強要に近く、無理に払わせるような善意とはいえない活動になります。


募金活動者に悪気がなくとも、今日のように寄附をしなければお店に出入りしにくい状態にすることはよくないと思います。

直接物申すにも、約8×2人対3人ではさすがに数で圧倒されると思い止めました。

募金活動のルール的なものが必要と思いますし、もう少し募金とはどういう行為なのか、募金は誰のためにするのか、募金をする人も考えなければならないと思います。
Posted by 照れ屋 at 2011年03月19日 17:25
こんにちは 照れ屋な者さま
コメントをありがとうございます。

おっしゃること、私も同感です。
このコメントを読んだ何人かの方からもメールと電話を戴きました。皆、口をそろえて「同感だよ」とのことでした。

私は、このようなことを書いては批判も戴くかも知れませんが、募金活動というものが苦手でした、と言うか、確かに「お金」は必要なことなのでしょうが、そこに至るまでの自分の意思、意識、行動という事が必要なことだと思います。

募金箱を持って呼びかけをする方々のお気持ちも良くわかりますが、照れ屋な者さんがおっしゃるように、ルールとその行為が意味すること、を考えなくてはならないことだと思います。
でも、それをどこに言えばいいのか、どうやって、この問題を意識共有するのかについては難しい問題だと思います。
大切な問題提起ですし、きっと多くの人が「そーなんだよね」とおっしゃるとは思うのですが。
どこかしらで、発信して行かなくてはなりませんね。
本当に微々たる発信ですが、とりあえず、私の思うことの範囲で、ブログとフェイスブック、ツイッターで発信しようかな。と、思います。ありがとうございました。
Posted by さくらい at 2011年03月21日 17:42
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