2011年03月15日

町長からの発信・再開!

昨日(14日の夜)に書いたように、村田町長が町長日誌を再開しました。
よかったです。
「あんたは議員だから余計に町長が発信することをチェックしてるのだろう」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、あまり町長日誌の内容に議員としてチェックするようなことはないと思っています。
でも、はやり斜里町のリーダーとしての発信の場であると思っています。だから、斜里町の公式ページにそのサイトがあるのです。

でも、今日は町長の発信の中に次のような文章がありました。
「14日の朝急きょ部長職以上の幹部職員に集まってもらい、斜里町として被災地の皆さまに何か貢献できないか、など協議。全職員に支援内容を精査・検討することを指示した。未曾有の地震被害、日本人として出来る限りのお手伝いをしなければ、と強く心に決めている。」

昨日は議会から、議長からの申し出として「支援に関する対策本部」を設置しては?と言うことを求めました。が、昨日書いたとおりです。斜里町として行政組織を持つ役場の体制で、14日の議会開催中でのとりあえず、と言う設置の難しさは理解できますが、なんとかしたい、なんとかできないかと言う声は土曜日、日曜日から出ていました。斜里町では津波警報が発令されていたので職員は12日まで38名が待機していました。

おそらく、これから「斜里町として」と町長も書いているように対応の方法を検討していくのだと思います。

「とりあえず」等といういいかげんなことを言えないのも十分理解できるのですが、斜里町内からの様々な支援に対する思いや、考え、行動を活かすように対応していくためにも、窓口の情報を提示することも必要な第一歩だと思います。

これから斜里町としての支援体制システムや内容などが広報されると思います。そこに、みんなの「できること」を組み入れて、窓口も明確にされていくと思います。それを待ちます。

今回の災害は、本当に私たちの想像を超える甚大な被害をもたらしました。そして、さらに原子力発電所の破損によりその被害は広まろうとしています。役場の職員が大勢、行方不明になっている地域もたくさんあります。住民の避難を確認するために逃げられなかった人も大勢いらっしゃるでしょう。そして、現在も家族の行方が分からない状態でも避難所や各所で、対応にあたっている人達がいます。同じ被災者なのに、と思います。それが職務とは言われても、どれほど辛いだろうと思います。
また、原子炉の作業を続けている人達たちに対してもただ、無事を祈ります。

本当に、祈るしかできない今がもどかしいです。

今日はウトロ小中学校の卒業式でした。
来賓の祝辞の中で斜里町教育委員の方が、祝辞のあとに「今回の震災被害に対して心から冥福を祈ります」という言葉を述べていました。
今日、3月15日、卒業というお祝い日であることが、なおさら深く気持ちに刻まれました。
posted by あとむ at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | まちづくり
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