それは、その後の成長も、改善も生みません。
現在、民主党の党首選でも言われている10%削減はきっとこれに近いものだと思います。で、斜里町の予算編成もこれに近いものをやっているようです。3%?だったと思うのですが、各係はそうやって新規事業以外は一律に削減するために電卓をはたいているのではないかと思います。
何に対して誰に対して平等なのか、公平なのか。
そして、この平等や公平が、実はとても多くの無駄を生んでいることもあるのです。
例えば・・私が長い間活動している知床自然愛護少年団で行うキャンプのとき、夕飯をみんなに分けるときには、お皿だけを人数分準備して分けるときと、子どもたちにお皿を持たせて分けるときでは・・料理を余して処分する量が全然違うのです。つまり、料理の量も最終的には少なくて済むのです。
これは、当たり前のことですが、とかく私たちは「早く、合理的に、面倒くさくないように」人数分の皿を並べて盛りつけを行います。その時気をつけることが、なるべく「平等な量・公平な量」な訳です。
そうではなく、「**ちゃんはこれくらい?」「@@くんはたくさん食べるね。」とか、「私は今日はもう少し」とか「今日は少なめに」という会話と対応があって分けるときには、単に料理を分けるだけではなく、その子の体調や気持ちの状況、さらには好みや苦手なものまでわかるのです。つまり、たくさんの情報や次に料理を作るときのヒントも取り入れることができるのです。
地方自治は予算と言われますが、予算を一律**%という方法で作り上げていては何の進歩もありません。費用対効果などとは絵に描いた餅になってしまいます。
行政の好きな「公平・平等」とは時には怠けた仕事の仕分けに使われてしまうこともあるのだと、改めて感じました。
財政が厳しいから、なおさら町の財政については「平等・公平」という一見正しく思えるような配分について、しっかり検証して行かなくてはなりませんし、使われるお金が町民のためになっているのだろうかという見方もしっかりやって行かなくてはなりませんね。
民主党の党首選に目がいってしまいがちですが、9月議会の準備をモクモクと進めなくてはなりません。もう少し・・かな。
8月29日に行われた消防団訓練その2