2009年07月14日

得体の知れない固定観念

16日の「緊急・町民集会」にむけての打ち合わせが昨夜ありました。今日(14日)にも事前の集まりがあります。(私は今夜は欠席ですが・・)みんな、なんとかしたい、と言う思いで一生懸命に動いています。

でも、毎回のように出る話があります。

町長はどうするんだ?出席しないのか?
議長は?議員は?どこに座らせる、椅子はどうする?挨拶は?と、すでにこの件については議論済みだったり、確認済みの話でその経過を知っている人は納得のイメージがあるのですが、初めての人は皆、この話をなさいます。
「ないよ」
「町長も議長も、議員も席は決めないし、参加者として考えているから」ちょっと乱暴な言い方ですが、そうなのです。

また、発言者や会場から意見をもらうのですが、「誰に向かって話すのか?」「受け手は誰なのか」「その受け手が、どこかに座っていないと・・」とも良く聞かれます。「誰に向かって発言するのか?」それは参加している人に対し発言します。

「呼びかけを受けていないのに、どうして参加できるの?」という人もいます。
呼びかけています。
新聞のチラシですが、その他は知り合いを通じて口コミでです。
招待状?お招き?がなければ、参加できない人って誰?

斜里町では、いままでこのようなことはなかったのでしょうか?

お役所は、よく「誰が仕切って、だれが主催で、誰を通じて・・」を言います。当然の質問ですが、その対応を「お役所って」と批判する住民も、なんとなく同じ人が多いな〜と思います。

今回の病院の問題につながる意識。

おそらく、チラシを見て「あ・・参加しよう」と思った人の感覚がこれからの町を変えていくのだと思います。「え〜〜〜そんな大袈裟なこと」と言われるかも知れませんが、その感覚がこれからは必要なのです。
たとえば・・集会の失敗って?なんでしょう?成功ってなんでしょう?

病院の問題で言えば、担当者は精一杯がんばっています。医師も職員も、こんなに大変な状況になっても、それでも毎日、医療現場は動いています。「来変なことになった〜」と言いながら、自分の仕事もそっちのけで、あちらに行っては「大変だよ〜どーすんだか・・」こっちに来ては「実は***らしいよ」なんて言ってることはできません。どんな状況であっても、現場の人は投げ出すこともせずに、役目をはたしています。それだけ、真剣で命と向き合う現場は厳しいはずです。
私たちは、それを忘れてはいけません。
「病院、もうダメなんじゃない?」なんて言ってる今も、いつもと変わらずに診療体制を継続している現状は、大変だと思います。

誰に呼びかけた?ウチには呼びかけが来ない。
だれそれが動いているからまずいんだ。だれそれに声をかけておいたほうが良いんじゃないか?・・・なんて、なんだかそんなこと言ってる人って、どんなイメージがあるのだろう?

でも、めげないし、あきらめないよ。
「そうだ、なんとかしなきゃ」と思って、同じ正確な情報を一緒に持ちながら、この町で元気に楽しく暮らしていくためにはどうすることが良いのだろう?」と考えることが、この集会の目的です。
極端ですが、同じ言葉を使って同じ問題に気がつき、次に進むステップを作る。
これは、だれかのためではなく、みんな自分たちの毎日の生活のために動くこと。

明後日の集会には、みなさん、参加してください。

得体の知れない固定観念とタイトルに書きましたが、なんとなく「得体」がおぼろげに見えているのも事実です。
 
 83歳の叔母が作るパッチワークです。
 彼女の着物(正絹)。見る角度によって違うパターンにも見
 えます。 

 パッチ1
 
 パッチ2
 これはまだ完成品ではなく、叔母はこれから冬までの間にキ
 ルトします。一気に仕上げたら?と言うと
 「夏は畑の手入れが忙しいから!」元気なおばさん。

 

posted by あとむ at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 議員活動
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