私が14年前から憧れの果物「ポポー」が栽培されていたり・・(ポポーのジェラートをいただきました)
Officeの中には、どうしようか迷っていた鋳物のストーブが使われていたり・・
神山町は、興味あるキーワードとの繋がりがたくさんある場所でした。
サテライトオフィスだって、サテライトありきではなく、そもそもが「自分たちの地域を自分たちでなんとかできないだろうか?」で取り組んだイロイロな結果だったと。いいえ、結果ではなく現在も〜ingの進行形であることが理解できました。
大きな企業や、工場などの産業を誘致するのではなく、人を、人のつながりを、ここにない価値を持つ人を、価値を求める人を、誘致する取り組み。
お話をしてくださった大南理事長は建築屋さん。(とっても遊び心のある方のような感じでした)
*アイデアキラーの一掃!
「無理だろう」「できるわけない」「やめとけ」「前例もない」「だれがやる」
そんなマイナスなキーワードを発する人を排除することが必要(・・何もやる気がなくなっちゃう)
*やったらええんちゃう?
やってみようよ。そう言う考えで動き出したまちづくりグループが基本だった。
神山町で行っている取り組みを、一括りのアイテムでは語れない。いくつもの繋がり、集積と循環がもたらす動きがとても魅力的だったし、「〜ほら、やっぱりダメだった」等という、動きを殺すような、萎縮するようなことを強いてはいない。
私は議員としての視察だったので、聞きたいことがたくさんあったけれど、一つ、聞いて見た。
「こうしたまちづくり活動に、町は、行政は、どのようなスタンスだったの?皆さんは、行政に何を求めたの?でしょうか?」
答えは「行政はアクセルにもならなかったけれど、ブレーキもかけたりしなかったよ」
「不平や不満を募らせるより、自分たちでやろーよ」
「あ・・良いじゃないか・・と、役場も乗り込んできた感じがする」
雇用がない、仕事がない、だから人を呼べない、移住を促進できない、ではなくて、仕事を持っている人を呼べば良いという発想でやって来た経過は、結果的にクリエイティブな地域づくりにつながっていったのだと思います。そうした、様々なアイテムの結果で「神山町にオフィス構えてもいいんじゃないか?」という事になったのだと思いました。
ただし・必要なインフラは整備されていました。
町内に張り巡らされた光回線です。驚いたことに、神山町内では域内フリーWi-Fiが整備されていました。
2005年から2019年までの国の補助を上手に使ってきました。必要なインフラ整備はありました。
神山町で、こうしたコンセプトを元に、何が、どんなふうに展開されているかは、Web・イン神山を見てください。しっかりリンクまでつながってみて欲しいです。
神山町で見た、聞いた、感じたことの、本当に僅かな小さな部分ではありますが、私は斜里町内で同じように有機的な意識の繋がりで形が見えてきている所があるなぁと、改めて実感した「場」があります。
いつか、その「場」と「人のつながり」についても、このブログでお知らせしたいと思います。
私も大嫌いなアイデアキラーマン。そんな存在を感じさせない神山町の取り組みを見て、元気をもらいました。
「やったらええんちゃう?」で、できるんだろうなぁと。