2015年03月17日

旅することと速いこと

議会も終わり、私にとっては議会終了後に作る「議会レポート」が、けっこうな時間をかけることと、来月の選挙に向けての準備でバタバタしている最中に。
長距離寝台列車のトワイライトエクスプレスと北斗星がサヨナラだったと「ありがとー」と言う声が響くテレビに気持ちをむけつつ。
「なんだか、納得できない」気持ちがありました。

学生時代には、釧路(根室だったのか?)ー小樽(だったと思ったけれど)の夜行寝台各駅停車(鈍行)の「からまつ」なんていうのがあって、リュック背負って周遊券を手にした私にとっては、これが旅の始まりでした。
それでも、寝台車両に乗るには勇気とお金が必要でした。寝台は上・中・下段がありました。

一度、釧路の駅の窓口で、「西鹿児島まで一枚」と告げて切符を手にして旅をしたときも(ずっと列車を乗り継ぎ)この鈍行寝台のからまつに乗りました。

新幹線が延長になり、延伸になり、どんどん移動の時間が速くなり、近くなった、近くなったと。
それはそれで、良いことなのでしょうが、はたして旅を誘うことになるのだろうか?
旅の楽しみの選択肢が消えていくことは、もしかしたら、旅の文化にとっては貧しいことにつながらないだろうか?などと思っています。
憧れのシベリア鉄道(ちょっとだけ乗ったけど)は始発から終点まで行きたいあこがれ。
オリエント急行は、憧れ以上の夢。いくつかの大陸横断鉄道だって、飛行機で行けば?なんて言われないでしょう。小さな国、日本ではあるけれど、移動のため時間をかける楽しみが旅と言う人もいるだろうし、目的地に速く時間をかけずに到着して、そこで遊ぶ人もいるでしょう。
遊びに行く、と、旅に出ると言うなんとなく違うんだけど・・と思う人は、少数派なのでしょうか。

東北から北陸を走った夜行寝台の、あの懐かしい停車駅の夜中の風景。
明け方、蒼い景色が遠くへ来たことを感じさせてくれたのは、移動した距離と時間が作り出してくれた郷愁だったりした。そんな旅の選択肢が、なくなってしまったようで、ちょっと寂しく残念に思った、弥生3月でありました。

さみしいなぁと。
posted by あとむ at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | まちづくり