オリジンなので。あしからず。
1985年3月30日、日曜日だったかな・・まるで「フランシーヌの場合は・・・」みたいなフレーズの時節。銀座で友人がお別れ会を開いてくれて・・そのまま、竹芝桟橋からフェリーに乗って北海道釧路へ向かって航行中が、ちょうど30年前の今日だと思う。
4月1日に上陸して、4月2日に斜里へ来た。
風が強くて「馬糞風」というのだと教えてもらう。
現在の国保病院前の、ちょうど新しい図書館の一角にある家が、借りることのできた我が家。
荷物が全部届かずに、家にポツンと電話機があったことを覚えている。
5月から博物館の発掘調査のアルバイト。以久科の谷田遺跡だっただろうか。
斜里町で初めて購入されたパーソナルコンピューター。小さなデジタイザー。自動製図機のプロッター
ベーシックとフォートラン・・・現場ではハンドヘルドデーター入力・・
それから、知床財団、そして斜里町役場の臨時職員と、気がつけば30年。
夫は今日、退職しました。臨時職員なので毎年の契約?正職員のように再任用制度は適用されず。
画像処理や最先端技術の仕事、調査作業や環境アセスなど、面白そうな仕事だったのに、都会ではなく自然豊かな土地での暮らしを選んで来た彼は、生活の場の環境を変えただけという中で、とても(私から見ると信じられないくらい)まじめに仕事に向かっていたと思います。
30年間、仕事についての課題や問題点は口にしても、愚痴は聞いたことがなく、役場の臨時になって、地元のコミュニティ施設の役割もある漁村センターでは、使う人のことをいつも考えて仕事をしていました。
小さな子どものために、健康のために、塩素素材のものは使わず・・化学薬品も極力減らし、きれいな空気を保ちたいとか。
色々あったけれど、お疲れ様、と今日の朝に話をしていました。
「斜里町に感謝している。30年間、お世話になったので、お礼を言ってくる」と、最後の挨拶に出かけていきました。
争いや、欲望で動くことを嫌い、調和や和やかな空気が大切、冷静で良く見て、考えて、流されたりしない
・・・何よりも、地域が大好き、人が好き。つまり、言葉を換えると頑固な人です。すごい量の本を読み(2階の床が落ちないか心配です)
いただいてきた花束がきれいです!
バタバタと突っ走る私にとっては、先走り走り出しても「あれ?大丈夫かな?」と思った時は振り返り「どうだろう?」と問いかければ、けっこうキッパリと善し悪しを指摘してくれます。
きっと、私のブログなどはほとんど読まない人なので、こうしてけっこうなほめ言葉を並べていても、気づくことはありません。
「ほめている」とは言っても、日常はどこも同じ(笑)
出しっぱなしを指摘して、「・・・ったく〜」を連発する生活は変わりはしませんが。
「ひとくぎり」
お疲れ様でした!
これからも、健康に気をつけて暮らしましょう!