本当に久しぶりの知床五湖。1985年に斜里へ来た春に歩いてから30年近く。
ずいぶんと変わってしまったなぁ、と思いながら。
レクチャールームを通過してヒグマの情報を得て、建物を出てから、フェンスや柵に囲まれた屋外へ出て、それからゲートを通過して歩くことになるその辺りで「管理された中を歩くのだなぁ」と感じながら。
でも、歩き出すとルールやコースを示した看板が気にはなったけれど、コースの中に入り歩き出せば、一時期の痛々しげなエゾシカの食害も減ったようで、ササの葉っぱがきれいな緑色で繁り、樹皮食いで悲惨だった樹木も、枯れて倒れたせいか気にならなくはなっていました。
人気のない知床五湖は美しかったです。
しかし、その美しい知床五湖を歩いていて、とても気になったものがあります。
なにかの目印、場所のポイントを示すものなのでしょうが、これは、誰のための?なんの目的に使われるものなのか?
この知床五湖の散策を楽しむ人のためのものではなさそうです。
きっと、管理上のためのもの。だったら、もう少し考えても良いものではないでしょうか?
植生保護期に受けたレクチャーでは、この目立つ、しかも機械的な、でも、ちょっとちゃちなアルファベット表記の説明はビジターにはなかったので、ビジターのためのものではないはず。管理上?です。
この目印が悪いとは言いませんが・・もう少し、目立たない、そして、材質を考えてほしかったと思いました。
管理上?ならば環境省でしょうか?実質管理の知床財団?
今度、確認してみようと思いました。
気になる人は気になりますよ・・これ。
知床では観光に関わる多くの人たちが、ここを訪れる人にとって、誇りである知床のベストの状態を体験してもらうためにがんばっています。ちょっとしたこと、あるいは私たちが日常のなかで、慣れてしまっている習慣、風景、景観が、はたして観光地として、知床としてふさわしいものかと立ち止まって考える事も必要です。
長いこと知床五湖を歩くときには、自分だけの楽しみ、純粋に知床五湖の自然を楽しみに歩いてきましたが、30年も経つと「お客さんはどう思うかな?」と思うようになっていました。
歩きながら、以前、まだガイドの人たちがいなかった頃に、ボランティアガイドとしてお客さんをガイドしながら歩いていたことも思いだしながら、五湖の良さやすばらしさを説明するために使っていた大木や大きな岩なども懐かしく通り過ぎてきました。
この標識も・・・恥ずかしい。
この看板は他もひどかったですね。
最後の一湖から高架木道へ誘導する遊歩道(これは誘導路ですね・・)でも、なんだかがっかりなこと。
この、柵、高すぎませんか?子どもには完全圧迫感。私にとってもこれまで歩いてきた雰囲気から一変する、なんとなく残念なアプローチ。もっと、背が低くても良いのではないでしょうか?
もっと低く設置しても、大丈夫ではないかと。まして、冬期間は使わず、埋もれてしまうでしょう。低くすることで構造的にも負荷がかからず、曲がったり倒れそうになることも少なくなるのでは・・と。
どう思いますか?
なんて、思いながらの知床五湖一周。
久々の散策と高架木道殻の開放感に満足したので、なおさらのこと、気になったことでありました。
うるさい、おばさん・・・ですねぇ(あしからず)