日常生活をしていると様々なゴミが出てきます。
私の80歳になる母は、ゴミを出す日に決まって「ありがたいね〜」と良いながら収集車に向かいお辞儀をします。
父の仕事で、住んでいたところは「へき地」と言われるところでした。教員住宅に4月、移転して母がすることは住宅の裏に穴を掘ることでした。そこに日常出てきたゴミを投入し、しばらくして貯まったら火をつけて燃やしていました。
プラスチック類がそう多くなかった時代でしたが、セルロイド製品が入ったりした頃に、父は「こんなことしていてはとんでもないことになる」と言っていたことを思い出します。
ゴミの穴は、燃やされたあとに土をかけられ、次のゴミを投入していました。もっとも、現在よりもその量はすごく少なかったです。
斜里町に住んでから、ちょうど私たちが越してきたときから、生ゴミの堆肥化処理が始まりました。すごい取り組みだと感心しました。多くの処理施設では燃やされていたり、埋められていたものを堆肥化にする取り組みをやっている自治体は少なかったと思います。
「さすが斜里町ですね」そう言われたこともありました。
しかし、その他の一般ゴミは「埋め立て処理」でした。
以久科の埋め立て場の近くにはたくさんのビニール袋が飛散して、たくさんのカラスが飛来していました。
そして何よりも、毎日出てくるゴミが、埋められて処理されることに抵抗を感じていました。埋められて、分解されるものもあるでしょうが、ずっと斜里のあの場所に埋まっているのか、と思うとゴミ箱に入れるときにためらっていました。
その間に、分別リサイクルが実施されて、何でもかんでもはなくなりました。
我が家のゴミ箱で一番多いのは紙類になりました。それでも、毎日、汚れたビニール、穴の空いた靴下、使い終わった布巾など色々です。
今は、こうしたゴミが斜里町では燃料として使われるようになりました。
高温高圧方式で処理されたゴミは、生成物としてペレット燃料になり、ボイラーで利用されるようになっています。
すごいですよね。
金属、ガラスなどを除いて、有機物であれば処理できるので粗大ゴミも、例えば樹木の枝や布類も細かくして処理されます。
これまでのように、しっかりとゴミの分別を行って、再利用されるものはその工程で、そして「埋められてしまうの?」と、どこかで後ろめたい思いを感じていた「ゴミ出し時の憂鬱」が軽減されたことは、嬉しいことです。
もちろん、ゴミ出しの憂鬱をまったく感じないわけにはいきません。
シンプルにゴミになるものを増やさない生活が充分かというと、それに胸を張って暮らせる状態ではないことに、憂いを感じてはいるのですが。その事はまた、これからのわが暮らしの課題としてまたの機会に。
10月から斜里町のゴミの収集方法、そして分別方法が少し変わります。
こうした問題に、つねに進化を見せて変化させていく町の姿勢、私たち町民の姿勢って、かなり意識的には高いものではないかと思いながら、火曜日のわが地域のゴミ出し日・ステーションに置いてきました。