住むところ?
衣服?お金でしょうか?
答えは 食べるもの。
食べなければ、人は生きてはいけません。人ばかりではなく、この世に存在する全ての生き物は何かをそれぞれ食べながら生きているのです。改めて言うようなことではないかも知れませんが、それが事実です。
こんなことを改めて考えるきっかけになったのは、友人から借りて読んだマンガと最近の知床のヒグマ事情。
マンガは中年に近づいてきた弁護士の主人公が、とてもマメに料理をする人で、料理本かと思うような場面がほとんどなのです。もちろんそれだけではストーリーは成立せず、実はその人はゲイであり一緒に暮らしている人はもちろん男性。彼らを取り巻く世情や家族との関係が描かれています。
そんな中で、料理を作る主人公に相手の男性が「料理を作るきっかけ」を聞きました。
その答えの中に「今の自分の身体や健康は全て異聞が食べてきたもので成り立っている」という一説があり、なるほど、本当にそうなのだ・・水も食べ物も・・全て自分が食べてきたもので自分は構成されているのだ・・と。
毎日、3食の食事を作りながら「何を作ろう、何を食べよう」と献立に悩む日々のなか、このマンガにいろいろと教えられた気がしました。たかが、マンガ、されどマンガです。
貸してもらったそのマンガの6巻中の2巻目あたりを読んでいた頃(私は一日の生活を終え、布団に入ってから寝付くまでの間に活字を、しかも頭の中をリセットする内容の活字を読むことを習慣としています)
我が家のすぐ横で、ヒグマが駆除されました。
お盆最中で在宅だった午後の時間、先日の風雨で倒れたインゲン豆に添え木をしようと外へ出たら、顔なじみの知床財団の人がちょっと緊張した気配を持って私のハウス横にやって来ました。近所の家の人に目撃された小型のヒグマがこちらへ走って逃げたということでした。
結局、しばらく隠れていたであろうヒグマは、ハウスのすぐ横の草の繁みで、思わず動いてしまったガサガサの音を私の耳に伝えてしまったようで「ここにいるかも知れない」で、駆除されました。
フェイスブックにもツイッターにも書きましたが、いくら山の近くとは言え、近所にはたくさんの子どもたちがいる環境ではこの対応は仕方のないことだと思います。
「麻酔銃でなんとかならないのか?」と言う人もいましたが、麻酔が効くまでの間はパニックなるでしょうし、動き回ります。撃ってすぐにパタン!と寝てしまうことはあり得ない状態では危険です。
先に書きましたが、生き物全ては 食べること=生きること で行動しています。きっと、食べ物を探すこと、食べるために行動しているはずです。先日、テレビでも新聞でも報道された道路沿いに捨てられていた食べ物の入ったゴミの投棄は本当に残念なことです。
ヒグマの出没や目撃件数が多い、あるいは人の存在に慣れたヒグマへの対応など、今年の夏はヒグマに対して問題がたくさん出てきました。世界遺産に指定された知床。その価値は生物の多様性と食物連鎖の循環です。
そのエリアで、これから私たちはどうやって対応して行かなくてはならないのか、考えるときだと思うのです。
大きな身体のヒグマは、ここ、知床の自然の中で育まれたもの。
一方で、旭山動物園から逃げたフラミンゴは動物園の管理下にあった生き物です。
食べること、生きること、そして野生動物とこの知床の自然の価値。
例年のように忙しい、慌ただしいお盆の季節の中で、今回は「生きるため」についての関わりを考えさせられました。