今日の北海道新聞に、斜里町の人事が掲載されています。
今回、退職されるみなさん、お疲れ様でした。
先日行われた議会関連の2回の送別会で、何人かの方のお話を聞くことができました。みなさん、勤務年酢が40年近い方も。長きにわたって役場で働いてこられた方々です。
退職の方々のあとに、新しい役職の方が入ってきたり、庁舎内では移動が行われています。
今回は町長選挙もあるので、暫定的な?人事だと思います。
役場職員の「仕事ができる」という評価はどんなことなのでしょう。
たとえば、民間ならば営業がすごいとか、料理の腕が良いとか、企画力に優れるとか、それなりの結果が出てきますから、その結果が評価に反映されるのでしょう。
しかし、役場の業務って評価が難しいです。
例えば、住民の声を良く反映させてくれる職員は、よく働くね、とか良くやってくれるねと言う評価になるでしょうが、時としてそれは越権行為とか、予算反映できないことで無責任さも問われてしまいかねません。バリバリ1人だけ動いても・・それはそれで難しいことに。
結局は、それぞれの人が、そのスキルを活かして働くことのできる「場」を作る事が重要になってきます。
その「場」って誰が作るのでしょう。
もちろん、全てが町長や理事者のトップダウンではありません。どんなに良い企画や事業であってもそれを受ける職員の実力に寄るところは大きいとは思いますが、でも、やはりリーダーに寄るところが大きいと思います。
そんな、大きな役場という組織。斜里町内では一番大きな会社でもあります。そう、会社。会社と考えたら、と例えるのは乱暴ですが、そう言う一面から考えても、この会社組織を動かす職員の人事配置はとても重要であると思います。
新年度からスタートする体制。
どう変わるのでしょう。
そういえば、斜里町の知床博物館の中川館長も退職されました。私は、斜里町にある退職したあとも継続して務めていける制度を使って館長はまだ、在職かと思っていたのですが、どうやら、最近の我が町のお得意な(というか・・人が少ないので仕方がない・・)教育次長が兼任と言うことになったようです。なんだか、本当にそれで良いのだろうか?
もう一つ、図書館長の合地館長も退職されましたが・・こちらも?どうなったのでしょう。
人事って大切。
町の組織は人が動かしています。どんな人事になったかな。
2011年03月31日
2011年03月30日
権力ってなんだろう?
今日は、昨日に引き続きお天気がよく、みるみるうちに雪がとけていきます。春は近いですね。
斜里町議会に入って驚いたことのいくつかに、「権力」か?これは・・・と思うような事がいくつかありました。驚くと言うよりも、「やっぱり?」という感覚です。しかし、その「権力」だけが先行して、それだけに固執する動きに至る現状の議会議員のみなさん、これは実は権力ではないと思います。
ただのエセ名誉かな。
斜里町議会選挙は今の段階では14名中、議員を辞める方が5名、新人が5名と言われています。
本当に、これまでとは有権者のみなさんも変わっていかなければならない時です。しっかりと候補の方のお話を聞いていくべきだと思います。(私も良く聞きたい)
で、そんな状況の中、早くも「次期の議長は?」という「議長のポスト」の話が聞こえてきます。よく、国会などで「ナンタラ会派」から「ナンタラ大臣選出」という言葉が聞こえますが、我が町も14名の議員の中でそのような議長ポストやナンタラ委員長ポストの争奪戦があるようです。まったく!ナンセンス。
議長は議長にふさわしい人、つまり議事の運営采配はもちろん、町と議会の調整や、議会としての立場をしっかりとわきまえる人でなければならないと思っています。この4年間でそれは、今まで知らなかった世界なので、強く思いました。
5月から新しい体制で4年任期が始まる前に、これまではいわゆる水面下で調整が行われて(かなり大変だそうですが)、議長選出時には臨時議会で仮の議長が「どのように選出しますか?」と問いかけ、「とーひょー」と誰かが叫び、その後、名前を呼ばれて投票用紙を箱に入れて・・決まります。
ちなみに・・2005年5月8日の初議会の様子のメモです。
10:00開会 事務局長の町民憲章の唱和にはじまり、町長の
挨拶
10:10理事者(役場の人達)退席
10:15仮議長が議長の選出について話し(この時、カンペを
完全に読み間違えていた仮議長に、驚きました!)
・・で、投票がはじまり、木村議長が選出されました。
前回の議長選出については、私も何の理解もない状態でしたが、木村議長は経験もあり、なによりも議会という場について大変詳しく、最近の社会的状況についてもよく理解され、勉強をされている方だとて思っていますので、適任だと思いました。
また、副議長につても同じ感想を持っています。
ですから、今回もぜひ、納得できる人を選びたいと思っています。決して、会派から、数の原理や名誉職という名前ほしさや、年功序列、まして権力闘争的な動きの中で選出されることのないように願いたいと思います。以前、議会改革で注目されている会津若松市では、しっかりと立候補する人を立て、その役職に対する姿勢を述べてもらうと言うことを行ったと聞きました。
そもそも「権力」という言葉はよくないことに使われますが、町の行政の主権は住民にあります。主権を持つのは住民であり、それが権利です。つまりは、権力というのは誰か1人が持つものではないはず。
そもそも、そんな間違いを犯して、利権や利益、名誉欲に目を向けてやってきた結果が今にあると思います。
議会選挙を前に、聞こえてくるのはザワザワとした、大間違いの権力争い?町民は見ていると思います。
議会の役割をしっかりと実行できるような議員の1人になるように、巻き込まれずに、惑わされずに・・心を平常に保ちながら・・これからの4年間をどう活動していかなければならないか、しっかり町の人達に聞いてもらいたいと思い、その準備を進めます。
単票の印刷が終わった・・
これから、カットして・・リーフレットに入れましょう〜
斜里町議会に入って驚いたことのいくつかに、「権力」か?これは・・・と思うような事がいくつかありました。驚くと言うよりも、「やっぱり?」という感覚です。しかし、その「権力」だけが先行して、それだけに固執する動きに至る現状の議会議員のみなさん、これは実は権力ではないと思います。
ただのエセ名誉かな。
斜里町議会選挙は今の段階では14名中、議員を辞める方が5名、新人が5名と言われています。
本当に、これまでとは有権者のみなさんも変わっていかなければならない時です。しっかりと候補の方のお話を聞いていくべきだと思います。(私も良く聞きたい)
で、そんな状況の中、早くも「次期の議長は?」という「議長のポスト」の話が聞こえてきます。よく、国会などで「ナンタラ会派」から「ナンタラ大臣選出」という言葉が聞こえますが、我が町も14名の議員の中でそのような議長ポストやナンタラ委員長ポストの争奪戦があるようです。まったく!ナンセンス。
議長は議長にふさわしい人、つまり議事の運営采配はもちろん、町と議会の調整や、議会としての立場をしっかりとわきまえる人でなければならないと思っています。この4年間でそれは、今まで知らなかった世界なので、強く思いました。
5月から新しい体制で4年任期が始まる前に、これまではいわゆる水面下で調整が行われて(かなり大変だそうですが)、議長選出時には臨時議会で仮の議長が「どのように選出しますか?」と問いかけ、「とーひょー」と誰かが叫び、その後、名前を呼ばれて投票用紙を箱に入れて・・決まります。
ちなみに・・2005年5月8日の初議会の様子のメモです。
10:00開会 事務局長の町民憲章の唱和にはじまり、町長の
挨拶
10:10理事者(役場の人達)退席
10:15仮議長が議長の選出について話し(この時、カンペを
完全に読み間違えていた仮議長に、驚きました!)
・・で、投票がはじまり、木村議長が選出されました。
前回の議長選出については、私も何の理解もない状態でしたが、木村議長は経験もあり、なによりも議会という場について大変詳しく、最近の社会的状況についてもよく理解され、勉強をされている方だとて思っていますので、適任だと思いました。
また、副議長につても同じ感想を持っています。
ですから、今回もぜひ、納得できる人を選びたいと思っています。決して、会派から、数の原理や名誉職という名前ほしさや、年功序列、まして権力闘争的な動きの中で選出されることのないように願いたいと思います。以前、議会改革で注目されている会津若松市では、しっかりと立候補する人を立て、その役職に対する姿勢を述べてもらうと言うことを行ったと聞きました。
そもそも「権力」という言葉はよくないことに使われますが、町の行政の主権は住民にあります。主権を持つのは住民であり、それが権利です。つまりは、権力というのは誰か1人が持つものではないはず。
そもそも、そんな間違いを犯して、利権や利益、名誉欲に目を向けてやってきた結果が今にあると思います。
議会選挙を前に、聞こえてくるのはザワザワとした、大間違いの権力争い?町民は見ていると思います。
議会の役割をしっかりと実行できるような議員の1人になるように、巻き込まれずに、惑わされずに・・心を平常に保ちながら・・これからの4年間をどう活動していかなければならないか、しっかり町の人達に聞いてもらいたいと思い、その準備を進めます。
単票の印刷が終わった・・
これから、カットして・・リーフレットに入れましょう〜
新人候補さん
今朝、掃除機をかけていたら(我が家の掃除機はとても大きな音のダイソン)来客がありました。掃除に夢中で全く気づかずに、おそらく何度もベルを鳴らしたのでしょう。失礼しました。(この掃除機、性能は良いのですが音がうるさい・・)
来てくださったのは、新しく立候補する人。
初めて会いました。短い時間でしたが、少し話をすることができました。
彼は、立候補したかったのだと言い、議員活動に興味があったそうです。こんなに年若く、立候補を決めると言うこと、これからの斜里町にとっては希望の存在です。議会で活動できる環境がある中で、「やるなら 今だと思ったんです。・・」と話してくれました。
選挙に詳しい経験豊富な方々にいろいろとご指導をしてもらいながら活動をしているようです。
これから先、充分時間はあるのですから、一生懸命に学んで、慣れずに議会という場を捉えながら活動して欲しいと思います。
って、言いながら余裕を持っているように見えるでしょうが・・
なかなか準備ができずに、今日も後援会長と役員でいろいろ準備作業。
流されず、慣例を越えて、どうやったら、どうしたら、みんなの耳に、思いに自分の方向性を届けることができるのか・・その方法を考えていました。議会の有り様を発信して、それを受け止めてもらえたら、あとはみんなが自分で考えること。それぞれの価値観を無視するつもりはないのですから、とにかく始まりは耳を傾けてもらえるようにすること。そこが始まり。
来てくださったのは、新しく立候補する人。
初めて会いました。短い時間でしたが、少し話をすることができました。
彼は、立候補したかったのだと言い、議員活動に興味があったそうです。こんなに年若く、立候補を決めると言うこと、これからの斜里町にとっては希望の存在です。議会で活動できる環境がある中で、「やるなら 今だと思ったんです。・・」と話してくれました。
選挙に詳しい経験豊富な方々にいろいろとご指導をしてもらいながら活動をしているようです。
これから先、充分時間はあるのですから、一生懸命に学んで、慣れずに議会という場を捉えながら活動して欲しいと思います。
って、言いながら余裕を持っているように見えるでしょうが・・
なかなか準備ができずに、今日も後援会長と役員でいろいろ準備作業。
流されず、慣例を越えて、どうやったら、どうしたら、みんなの耳に、思いに自分の方向性を届けることができるのか・・その方法を考えていました。議会の有り様を発信して、それを受け止めてもらえたら、あとはみんなが自分で考えること。それぞれの価値観を無視するつもりはないのですから、とにかく始まりは耳を傾けてもらえるようにすること。そこが始まり。
posted by あとむ at 00:09
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| 日記
2011年03月28日
これからの影響が心配!
今日(28日)の臨時議会は交付税が4200万円ほど追加になったこと、そして、斜里町として震災被害のための義援金500万円を寄付すること、などが議案で提出されました。
近隣町村では多い額だと思いますが、今回の被害の大きさ、できうる範囲での額の検討をしての決定であるとの説明を受けました。
まだまだ、被災地で捜索、避難が続いています。範囲が広いこともあり、そして、原発の事故も重なり、どこから復興が?と不安になりますが、着々とインフラは復旧されてきています。しかし、壊滅的な打撃を受けた自治体はどうやっていくのでしょう。
これから急ピッチで復興対応が始まります。これまで経験したことのない被害ですから、大がかりな復興工事が始まるでしょう。
資材関係は大丈夫でしょうか?
特に、建築資材などは?
さらに、生産を停止している機械関係、自動車などは再開のメドもたっていません。
今年度から本格的な建設に向けて動き出す、斜里町のゴミ処理場の建設には影響は出ないでしょうか?建築関係ではもうすでに資材の確保が難しい状況です。昨今は、在庫を保留しない経営になっていることもあり、流通に頼った工程です。
確認はしていませんが、知床五湖のハウスの完成も遅れるのでは?と言う噂もあります。
また、斜里町が新年度に向けて発注する商品なども、入荷が遅れたり、調達の難しいものも出てくるでしょう。これまでのようには動けない状況を十分に考慮する対応も行政には求められるでしょう。この、経済的な流通の混乱を、地元の企業や業者の責任にしない対応が必要です。
この4月。役場は人事異動、町長選挙、議員選挙、そしてこの大災害。とても大変な状況です。
より、効率的で、なおかつ、思いやりを持って事に対応していく姿勢が求められます。「思いやり」なんて〜と思いますが、回りを見て、全体の状況を思いやること、が、大変な状況時には大切なことだと思います。
今まで通りにいかないことが、今後は十分予想できます。十分な情報収集、それに対応する動きが必要です。
ベテランの職員が退職する中でむかえる4月、新年度。きっと、日本中が同じ状況だと思います。
がんばらなきゃ。
近隣町村では多い額だと思いますが、今回の被害の大きさ、できうる範囲での額の検討をしての決定であるとの説明を受けました。
まだまだ、被災地で捜索、避難が続いています。範囲が広いこともあり、そして、原発の事故も重なり、どこから復興が?と不安になりますが、着々とインフラは復旧されてきています。しかし、壊滅的な打撃を受けた自治体はどうやっていくのでしょう。
これから急ピッチで復興対応が始まります。これまで経験したことのない被害ですから、大がかりな復興工事が始まるでしょう。
資材関係は大丈夫でしょうか?
特に、建築資材などは?
さらに、生産を停止している機械関係、自動車などは再開のメドもたっていません。
今年度から本格的な建設に向けて動き出す、斜里町のゴミ処理場の建設には影響は出ないでしょうか?建築関係ではもうすでに資材の確保が難しい状況です。昨今は、在庫を保留しない経営になっていることもあり、流通に頼った工程です。
確認はしていませんが、知床五湖のハウスの完成も遅れるのでは?と言う噂もあります。
また、斜里町が新年度に向けて発注する商品なども、入荷が遅れたり、調達の難しいものも出てくるでしょう。これまでのようには動けない状況を十分に考慮する対応も行政には求められるでしょう。この、経済的な流通の混乱を、地元の企業や業者の責任にしない対応が必要です。
この4月。役場は人事異動、町長選挙、議員選挙、そしてこの大災害。とても大変な状況です。
より、効率的で、なおかつ、思いやりを持って事に対応していく姿勢が求められます。「思いやり」なんて〜と思いますが、回りを見て、全体の状況を思いやること、が、大変な状況時には大切なことだと思います。
今まで通りにいかないことが、今後は十分予想できます。十分な情報収集、それに対応する動きが必要です。
ベテランの職員が退職する中でむかえる4月、新年度。きっと、日本中が同じ状況だと思います。
がんばらなきゃ。
2011年03月27日
選挙に向けて動き出す
3月18日の立候補予定者に対する説明会も終わり、誰それが出る、誰それが出ないと話が飛び交い始めています。
どうやら、新人は今現在5名?とか。女性の候補もいるとのこと。いろんな人がいる方が良いと思う。・・・なんて、呑気なことは言ってられない。
さ〜議会レポート17号で3月議会の様子もお知らせできたし、選挙の準備に入ろうと動き出したとたん、風邪をひいてしまいました。インフルエンザではありませんが、鼻水とくしゃみが続き、体が痛くなりだるくなりボーッとします。
今回は大きな災害もあり、まだ避難している方、行方不明の方もいる中で、選挙の方法も自粛すべきと言う意見があり、おそらく明日の臨時議会(3月28日)のあとで議員協議会が開催され、その話(選挙公報のやりかた)もあると思います。
そして、臨時議会では今回の被災に関して斜里町から寄付金(義捐金)の補正予算もあります。金額は500万円の予定です。500万円は近隣町村の中でも多い額です。この額の根拠を聞きたいです。
鼻水で苦しみながら・・後援会の討議資料を作っていました。それからポスターも作らなくてはなりません。聞くところに寄りますと、東京都知事選では大物候補者はポスターも掲示していないようです。選挙には多額のお金がかかります。4年前の私の選挙でも、看板、討議資料、ポスター、スピーカー、その他諸々とずいぶんたくさんのお金がかかりました。私の場合は寄付を戴き、ボランティアで関わってくれた人達のおかげで40万円以下ですみましたが、先輩議員のみなさんは80万とか100万とか!
こんなに小さな町の規模から考えると、東京都とか市では大変だろうと思います。
選挙とお金ってこの辺から考えなくてはならないと思います。
だからと言って、ポスターも貼らず、討議資料も作らず、街頭活動もなければ、どんな人が何をやりたいのか・・有権者は知るすべもありません。でも、一方で、このようにポスターや凱旋活動だけで良いのだろうか?とも思います。
もっと、たとえば立候補者の考えていること、主張などを冊子にまとめて、配布すれば、それぞれの候補のことを知ることができると思いますし、各候補の主張を比較できると思うのです。その方がずっと分かり易いし・・(言うなれば通販カタログ感覚で選べる?)
今年も青年会議所が行う立候補者の討論会?が開催されますが、あのようにそれぞれの主張を言う会を各所で開催するのも良いと思います。そうすると、議員になってからも「あ・・この人はこんな事言ってたな〜」と分かるでしょう。
選挙運動の改革ってどうして進まないのでしょうかね。どこへ声を出せば検討されるのでしょう。
まして、この時代にインターネットでの活動ができないなんて・・なんだか納得できないことが多いと思います。
とは言っても、その変革を待つこともできないので、今回もしっかりと討議資料(リーフレット)を作ります。すごく考えてゲラができましたが、やはり十分ではないと思います。また、ポスターも作る予定です。看板は前回のそのままで、大丈夫だと思います。
さて、鼻水とくしゃみが続きますが・・明日の議会の準備をします。
明日の議会(3月18日)はごご13:30開始です。お時間のある方、傍聴にいらっしゃいませんか?
どうやら、新人は今現在5名?とか。女性の候補もいるとのこと。いろんな人がいる方が良いと思う。・・・なんて、呑気なことは言ってられない。
さ〜議会レポート17号で3月議会の様子もお知らせできたし、選挙の準備に入ろうと動き出したとたん、風邪をひいてしまいました。インフルエンザではありませんが、鼻水とくしゃみが続き、体が痛くなりだるくなりボーッとします。
今回は大きな災害もあり、まだ避難している方、行方不明の方もいる中で、選挙の方法も自粛すべきと言う意見があり、おそらく明日の臨時議会(3月28日)のあとで議員協議会が開催され、その話(選挙公報のやりかた)もあると思います。
そして、臨時議会では今回の被災に関して斜里町から寄付金(義捐金)の補正予算もあります。金額は500万円の予定です。500万円は近隣町村の中でも多い額です。この額の根拠を聞きたいです。
鼻水で苦しみながら・・後援会の討議資料を作っていました。それからポスターも作らなくてはなりません。聞くところに寄りますと、東京都知事選では大物候補者はポスターも掲示していないようです。選挙には多額のお金がかかります。4年前の私の選挙でも、看板、討議資料、ポスター、スピーカー、その他諸々とずいぶんたくさんのお金がかかりました。私の場合は寄付を戴き、ボランティアで関わってくれた人達のおかげで40万円以下ですみましたが、先輩議員のみなさんは80万とか100万とか!
こんなに小さな町の規模から考えると、東京都とか市では大変だろうと思います。
選挙とお金ってこの辺から考えなくてはならないと思います。
だからと言って、ポスターも貼らず、討議資料も作らず、街頭活動もなければ、どんな人が何をやりたいのか・・有権者は知るすべもありません。でも、一方で、このようにポスターや凱旋活動だけで良いのだろうか?とも思います。
もっと、たとえば立候補者の考えていること、主張などを冊子にまとめて、配布すれば、それぞれの候補のことを知ることができると思いますし、各候補の主張を比較できると思うのです。その方がずっと分かり易いし・・(言うなれば通販カタログ感覚で選べる?)
今年も青年会議所が行う立候補者の討論会?が開催されますが、あのようにそれぞれの主張を言う会を各所で開催するのも良いと思います。そうすると、議員になってからも「あ・・この人はこんな事言ってたな〜」と分かるでしょう。
選挙運動の改革ってどうして進まないのでしょうかね。どこへ声を出せば検討されるのでしょう。
まして、この時代にインターネットでの活動ができないなんて・・なんだか納得できないことが多いと思います。
とは言っても、その変革を待つこともできないので、今回もしっかりと討議資料(リーフレット)を作ります。すごく考えてゲラができましたが、やはり十分ではないと思います。また、ポスターも作る予定です。看板は前回のそのままで、大丈夫だと思います。
さて、鼻水とくしゃみが続きますが・・明日の議会の準備をします。
明日の議会(3月18日)はごご13:30開始です。お時間のある方、傍聴にいらっしゃいませんか?
2011年03月23日
議会レポートNO.17です
3月14日に終わった3月議会のレポートがやっとできあがりました。発送させていただいているみなさんには、もうじき届くと思います。
「議会レポート」は17号になりました。最初の頃のレポートを読み返すと、この4年間でずいぶん変わってきたと思います。
ホームページにもアップしましたので読んでみてください。
私の後援会長の松本さんも文章を書いてくださいました。ページの下の方にありますから、こちらもご覧下さい。また、2期目にむけて私の「思うこと」も書いています。
今回、このレポートを配って歩き、色々な話を聞くことができました。まだまだ、町には問題がたくさんあります。
そして、町のリーダーに求めるものは大きいと実感しました。世の中がそうだから・・と言う人もいますが、この閉塞感、斜里は強いと思います。そして、今回の災害です。被災された人達、一人ひとりの生活があったはずです。暖かな団らんもあったはずです。何気ない日常があったはずです。その、全てをなくされている方々を思うと、何もできない自分が情けなくなります。
「なにかしてあげたい」でも、それが、自分にむけての免罪符になってはいけないとも思います。
今回のこの大きな震災とそれに続く津波、そして原発事故は、今後の、たとえば知床観光に大きな影響を及ぼすでしょう。
日本という大きな市場を考えたときには、海外にむけての製品や産物は多少とも影響が出るでしょう。さらに、首都圏での停電、つまり不完全なインフラは日本の経済活動に大きな影響を及ぼすでしょう。
単純に、テレビが見られない、電気がつかない、と言うレベルではないつながりが、大都市ゆえに大きな影響だと思います。
いくつかの年度末に提出する報告書ができあがりました。
私は、やらなければならないことを、できるだけ平常な気持ちを持って進めていこうと思っています。
あ・・でも、3月28日には臨時議会があるようです。きっと、斜里町としての義捐金かな?
つながって、いくつかの問題も出てくるでしょう。これから、変化していく経済活動。新年度にむけての体制も含めて、しっかり、目を背けることなく、ごまかさないで取り組んでいかなければなりませんね。しっかり、考えて。
「議会レポート」は17号になりました。最初の頃のレポートを読み返すと、この4年間でずいぶん変わってきたと思います。
ホームページにもアップしましたので読んでみてください。
私の後援会長の松本さんも文章を書いてくださいました。ページの下の方にありますから、こちらもご覧下さい。また、2期目にむけて私の「思うこと」も書いています。
今回、このレポートを配って歩き、色々な話を聞くことができました。まだまだ、町には問題がたくさんあります。
そして、町のリーダーに求めるものは大きいと実感しました。世の中がそうだから・・と言う人もいますが、この閉塞感、斜里は強いと思います。そして、今回の災害です。被災された人達、一人ひとりの生活があったはずです。暖かな団らんもあったはずです。何気ない日常があったはずです。その、全てをなくされている方々を思うと、何もできない自分が情けなくなります。
「なにかしてあげたい」でも、それが、自分にむけての免罪符になってはいけないとも思います。
今回のこの大きな震災とそれに続く津波、そして原発事故は、今後の、たとえば知床観光に大きな影響を及ぼすでしょう。
日本という大きな市場を考えたときには、海外にむけての製品や産物は多少とも影響が出るでしょう。さらに、首都圏での停電、つまり不完全なインフラは日本の経済活動に大きな影響を及ぼすでしょう。
単純に、テレビが見られない、電気がつかない、と言うレベルではないつながりが、大都市ゆえに大きな影響だと思います。
いくつかの年度末に提出する報告書ができあがりました。
私は、やらなければならないことを、できるだけ平常な気持ちを持って進めていこうと思っています。
あ・・でも、3月28日には臨時議会があるようです。きっと、斜里町としての義捐金かな?
つながって、いくつかの問題も出てくるでしょう。これから、変化していく経済活動。新年度にむけての体制も含めて、しっかり、目を背けることなく、ごまかさないで取り組んでいかなければなりませんね。しっかり、考えて。
2011年03月21日
選挙のこと雑感?情報
「どうなの?選挙になるの?」と、最近はこの話題が多くなりました。本日、やっと「議会レポートNO.17」の原稿ができあがりました。今回はなんだか、この3月11日に発生した地震、津波、原発で気持ちが落ち着かずに、とても苦しいまとめと発行になりそうですが、明日、印刷して明後日からはみなさんにお送りすることができそうです。
今回は一期四年が経ちますので、その事も書きました。
4年間、議会という中で何ができただろう?と振り返ると、まだまだ、と言う気持ちと、けっこう、精一杯だったと言う思いが交錯します。まだまだ分からないことが多い中で、見えてきたことも多くあります。
それらを、このブログに綴ってきたつもりです。
読んでくださいね。(まだHPにはアップできませんが)
さて、3月18日に「選挙の説明会」がありました。斜里町広報誌に載っていましたね。前回はドキドキしながらその説明会に私も出席しましたが・・今回は後援会の方が行ってくださいました。他の議員さんも「本人は行かないモンだよ」と。4年前は確かにヒソヒソと聞こえてきて(耳は良いので)「あれ?あれがサクライ?ちっこいね〜」なんて言われていましたが・・。
選挙になるのかならないのかは・・きっと告示の日まで分からないと思います。
前回、残念だった前職のかた、
若手の人、と言うことしか分かりませんが若いかた、
斜里出身で東京からUターンの64歳のかた
斜里で食堂を経営されているジャズマンのかた
理容業の方
JCの方
もしかしたらさらにウトロから?と言う噂もあったり、
と、情報はたくさんあります。
私は、議会で活動をして議会は一生懸命だと言うことはよくわかりました。しかし、議員のみなさんが同じ事をやるなどと言うことはなく、それぞれの活動は本当に全く違います。
皮肉な言い方をすれば、会派と言われるグループの中にいれば、なにも勉強をしなくても、町の事業や予算を精査しなくてもやっていけると言うことです。これは、会派に入っている入っていないということには関係ないかも知れません。
私が議会に入ってから4年間、一度も一般質問をしない方もいらっしゃいます。(議長は質問できませんからこの限りはありません)
なのに、宴会の出席率は完璧という方もいらっしゃいます。(もちろん、接待も大切な役割とも言えますが)
議員はなにをやっているのだ!と言う方もたくさんいらっしゃいますが、選挙で選ばれた議員です。それでも、良いのか・・と思うしかありません。それぞれの役割分担として考えると、色々な人がいた方が良いのかも知れませんね。(あまり感心はしないけれど)
しかし、まったく間違ったスタンスで議会に関わる方もいらっしゃいますが、これだけは大きな間違いだと思うことをひとつ。「自分は町長を当選させるために議員を続ける」なんて絶対におかしい!
・・と、私1人が熱くなっても仕方ないですが、町の議会の選挙。
議会レポートで3月議会の事をお知らせできましたら、私も2期目に向けて活動開始します。
それにしても、福島の原子力発電所の事故はとても大変なことだと思います。風評はいけませんが、しかし、とにかく人命が一番でしょう。そこをしっかり考えて動いて欲しいと思います。
誰もが知っています。被爆した場合、身体に異常が出るのはすぐではないことを。だから、「だいじょうぶか?」と思いますし、「ただちに健康に害があるわけではない」と言う言い方に疑問を感じるのです。事故の推移を注視します。
今回は一期四年が経ちますので、その事も書きました。
4年間、議会という中で何ができただろう?と振り返ると、まだまだ、と言う気持ちと、けっこう、精一杯だったと言う思いが交錯します。まだまだ分からないことが多い中で、見えてきたことも多くあります。
それらを、このブログに綴ってきたつもりです。
読んでくださいね。(まだHPにはアップできませんが)
さて、3月18日に「選挙の説明会」がありました。斜里町広報誌に載っていましたね。前回はドキドキしながらその説明会に私も出席しましたが・・今回は後援会の方が行ってくださいました。他の議員さんも「本人は行かないモンだよ」と。4年前は確かにヒソヒソと聞こえてきて(耳は良いので)「あれ?あれがサクライ?ちっこいね〜」なんて言われていましたが・・。
選挙になるのかならないのかは・・きっと告示の日まで分からないと思います。
前回、残念だった前職のかた、
若手の人、と言うことしか分かりませんが若いかた、
斜里出身で東京からUターンの64歳のかた
斜里で食堂を経営されているジャズマンのかた
理容業の方
JCの方
もしかしたらさらにウトロから?と言う噂もあったり、
と、情報はたくさんあります。
私は、議会で活動をして議会は一生懸命だと言うことはよくわかりました。しかし、議員のみなさんが同じ事をやるなどと言うことはなく、それぞれの活動は本当に全く違います。
皮肉な言い方をすれば、会派と言われるグループの中にいれば、なにも勉強をしなくても、町の事業や予算を精査しなくてもやっていけると言うことです。これは、会派に入っている入っていないということには関係ないかも知れません。
私が議会に入ってから4年間、一度も一般質問をしない方もいらっしゃいます。(議長は質問できませんからこの限りはありません)
なのに、宴会の出席率は完璧という方もいらっしゃいます。(もちろん、接待も大切な役割とも言えますが)
議員はなにをやっているのだ!と言う方もたくさんいらっしゃいますが、選挙で選ばれた議員です。それでも、良いのか・・と思うしかありません。それぞれの役割分担として考えると、色々な人がいた方が良いのかも知れませんね。(あまり感心はしないけれど)
しかし、まったく間違ったスタンスで議会に関わる方もいらっしゃいますが、これだけは大きな間違いだと思うことをひとつ。「自分は町長を当選させるために議員を続ける」なんて絶対におかしい!
・・と、私1人が熱くなっても仕方ないですが、町の議会の選挙。
議会レポートで3月議会の事をお知らせできましたら、私も2期目に向けて活動開始します。
それにしても、福島の原子力発電所の事故はとても大変なことだと思います。風評はいけませんが、しかし、とにかく人命が一番でしょう。そこをしっかり考えて動いて欲しいと思います。
誰もが知っています。被爆した場合、身体に異常が出るのはすぐではないことを。だから、「だいじょうぶか?」と思いますし、「ただちに健康に害があるわけではない」と言う言い方に疑問を感じるのです。事故の推移を注視します。
2011年03月18日
議員会 送別会 義援金
「議員会で義援金についての協議を行い、その後、送別会兼懇親会」ということになり(事の顛末は議員会会長の強い希望だったらしいけれど)17日・午後6時から始まりました。義援金を議員会として出すこと。
もしかしたら、町として義援金?支援金?を出すことになったら、臨時議会開催かも知れないと。網走市、大空町などいくつかも自治体が補正予算で行っています。斜里町はどうするのかな。
今回は斜里町議会事務局では局長と係長が退職されます。私としては、大変哀しく残念ですが、それぞれ思うことあっての退職です。お世話になりました。
2時間ほどの歓談のあと、お開きと思いきや・・何人かは2次会へ。
実は、町の人(だろう)方から電話がありました。前回の送別会後、2次会へ行ったことを「何やってんだ〜こんな時に」と。お名前はおっしゃられませんでしたが、斜里町内の方。もう一名も斜里町内の方で、厳しい自粛は良くないけれど、あまり大声で酔っぱらうのは如何なものかと。みなさん、見ている!と驚くと同時に、どうして直接、本人に言わないのだろうか?と思いました。(親しくなければ言わないか・・。怖いモンね。)
さて、明日、チラシとホームページにも掲載されると思いますが、被災地への支援物資を受け付け始めます。
町長も早速、「町長日誌」に書いていました。詳しくは明日(18日)。
今日は議員会の副会長、監査もしている、寺門議員がこう話されました。「自分が議会に入ったときに阪神大震災があった。そして議会を去ろうとしている今、この震災があった」と。議会中は色々なことを教えていただきました。お世話になりました。
さて、今夜は帰宅時には道路が吹きだまりとツルツル路面でした。被災地のお天気が気になります。
みんなで祈りましょう。そして、できることに取り組みましょう。
もしかしたら、町として義援金?支援金?を出すことになったら、臨時議会開催かも知れないと。網走市、大空町などいくつかも自治体が補正予算で行っています。斜里町はどうするのかな。
今回は斜里町議会事務局では局長と係長が退職されます。私としては、大変哀しく残念ですが、それぞれ思うことあっての退職です。お世話になりました。
2時間ほどの歓談のあと、お開きと思いきや・・何人かは2次会へ。
実は、町の人(だろう)方から電話がありました。前回の送別会後、2次会へ行ったことを「何やってんだ〜こんな時に」と。お名前はおっしゃられませんでしたが、斜里町内の方。もう一名も斜里町内の方で、厳しい自粛は良くないけれど、あまり大声で酔っぱらうのは如何なものかと。みなさん、見ている!と驚くと同時に、どうして直接、本人に言わないのだろうか?と思いました。(親しくなければ言わないか・・。怖いモンね。)
さて、明日、チラシとホームページにも掲載されると思いますが、被災地への支援物資を受け付け始めます。
町長も早速、「町長日誌」に書いていました。詳しくは明日(18日)。
今日は議員会の副会長、監査もしている、寺門議員がこう話されました。「自分が議会に入ったときに阪神大震災があった。そして議会を去ろうとしている今、この震災があった」と。議会中は色々なことを教えていただきました。お世話になりました。
さて、今夜は帰宅時には道路が吹きだまりとツルツル路面でした。被災地のお天気が気になります。
みんなで祈りましょう。そして、できることに取り組みましょう。
2011年03月17日
思いは、みんな一生懸命
議会が終わったので、これから議会レポートを作成しなくてはなりません。
今回は色々と忙しくなるので、少しできる部分は先に書いておこう・・と思っていたのですが、それは使い物にはなりませんでした。
今回の大きな災害は、本当に私たちの想像を大きく超えたものだったと思います。地震と津波。
そして、原子力発電施設の事故です。
以前、北海道電力のプルサーマル施設について斜里町内で説明を聞く機会がありました。その施設の必要性と安全性を話していただきましたが、私にとって原子力は人の手におえないものと思っています。それは、これまでの様々な事故や経験から私たちは学んでいるはずです。
人知の限界を超えた対応などはあり得ないのです。
単純に「原発推進派と原発反対派」等という区分は無意味だと思いますが、これから私たちはいくつかの選択をしていかなければならない時が来ると思います。
さて、昨日、斜里町から義援金の募集チラシが入りました。その後、色々な方から電話がありました。中には私の家に来てくれた方もいらっしゃいました。
「救援物資は受け付けないと書いてあるから、どこに持ってい行けば良いのか?」
「個人でも(募金)取り組んでくださいと言うが大丈夫か?」
「ウトロの雇用促進住宅など、開いている住宅の情報を出してはどうか?」
「被災した人を、とりあえず斜里町に連れてきて避難させてあげられないか?」
「必要で不足している物資を言ってくれれば提供したいが、どうすればいいのか?」など、本当にみなさん色々と考えて、できることの道筋を探していらっしゃいます。
被災地でも「情報が欲しい」という声がたくさんありました。
被災していない地域では「何ができるのか」「何かしてあげたい」という思いをどうすればいいのか・・と言う情報が欲しいのだと思います。
町では町職員の方に「ウトロの雇用促進住宅については厚生労働省関係の管理先に問い合わせ、利用する準備はしている」という確認をしてもらいました。
救援物資は、各被災地でも個人支援物資の受け入れをしていない所もあり、また、本当に必要なものを迅速に送るためにも流通の妨げ、または仕分けの手間を避けるためにも大口の支援物資を優先すべきだと私は思います。「受け付けない」というのではなく、受け入れない、現状では送ることはできない理由を書いて欲しかったと思いました。
「個人での募金の取り組み」というのは本当に親しい人同士で行う方がいいでしょう。神戸の震災の時も知らない人がお金を集めに来たりしていましたが、はやりはっきりとした団体に行うべきだと思いました。
被災した人を受け入れる体制も、これから求められる事になるでしょうが、この、遠く離れた斜里町が、今、早急に受け入れが現実的に良いのかということも含めて、北海道や国、自治体の連携の動きを待ちましょう。
本当に、みんなの思いは同じです。みんな一生懸命に「何ができるのか」について考えています。
今日、夜に議員会主催の議員懇親会があります。その実施については一時、取りやめにしてその費用を義援金にと言う方向で調整していると連絡がありましたが、昨日夕方に議員会会長名で「予定通り実施する」というFAXがありました。懇親会の冒頭で義援金についての協議をするとのこと。
たしかに、予定をしていたお店をキャンセルなどしては迷惑であることも理解できます。過剰な自粛は町の経済活動、強いては産業の衰退につながると思います。・・だったら、今日の懇親会、せめてアルコールを控えるなどの対応くらいは考えているのでしょうか。
「まずはビールで乾杯」等ということになるのでしょうか。
もちろん、議員会の懇親会や活動については会費(月に一万円)で運営されていますので、公費などの出費はありません。
きっと、アルコールもみなさん、召し上がると思います。(多分・・・)二次会?はどうだろう。
どこまでが「普通の感覚」と言って良いものか分かりませんが・・4年間の議員活動では、まだ「?」が多いこの世界でもあります。
今回は色々と忙しくなるので、少しできる部分は先に書いておこう・・と思っていたのですが、それは使い物にはなりませんでした。
今回の大きな災害は、本当に私たちの想像を大きく超えたものだったと思います。地震と津波。
そして、原子力発電施設の事故です。
以前、北海道電力のプルサーマル施設について斜里町内で説明を聞く機会がありました。その施設の必要性と安全性を話していただきましたが、私にとって原子力は人の手におえないものと思っています。それは、これまでの様々な事故や経験から私たちは学んでいるはずです。
人知の限界を超えた対応などはあり得ないのです。
単純に「原発推進派と原発反対派」等という区分は無意味だと思いますが、これから私たちはいくつかの選択をしていかなければならない時が来ると思います。
さて、昨日、斜里町から義援金の募集チラシが入りました。その後、色々な方から電話がありました。中には私の家に来てくれた方もいらっしゃいました。
「救援物資は受け付けないと書いてあるから、どこに持ってい行けば良いのか?」
「個人でも(募金)取り組んでくださいと言うが大丈夫か?」
「ウトロの雇用促進住宅など、開いている住宅の情報を出してはどうか?」
「被災した人を、とりあえず斜里町に連れてきて避難させてあげられないか?」
「必要で不足している物資を言ってくれれば提供したいが、どうすればいいのか?」など、本当にみなさん色々と考えて、できることの道筋を探していらっしゃいます。
被災地でも「情報が欲しい」という声がたくさんありました。
被災していない地域では「何ができるのか」「何かしてあげたい」という思いをどうすればいいのか・・と言う情報が欲しいのだと思います。
町では町職員の方に「ウトロの雇用促進住宅については厚生労働省関係の管理先に問い合わせ、利用する準備はしている」という確認をしてもらいました。
救援物資は、各被災地でも個人支援物資の受け入れをしていない所もあり、また、本当に必要なものを迅速に送るためにも流通の妨げ、または仕分けの手間を避けるためにも大口の支援物資を優先すべきだと私は思います。「受け付けない」というのではなく、受け入れない、現状では送ることはできない理由を書いて欲しかったと思いました。
「個人での募金の取り組み」というのは本当に親しい人同士で行う方がいいでしょう。神戸の震災の時も知らない人がお金を集めに来たりしていましたが、はやりはっきりとした団体に行うべきだと思いました。
被災した人を受け入れる体制も、これから求められる事になるでしょうが、この、遠く離れた斜里町が、今、早急に受け入れが現実的に良いのかということも含めて、北海道や国、自治体の連携の動きを待ちましょう。
本当に、みんなの思いは同じです。みんな一生懸命に「何ができるのか」について考えています。
今日、夜に議員会主催の議員懇親会があります。その実施については一時、取りやめにしてその費用を義援金にと言う方向で調整していると連絡がありましたが、昨日夕方に議員会会長名で「予定通り実施する」というFAXがありました。懇親会の冒頭で義援金についての協議をするとのこと。
たしかに、予定をしていたお店をキャンセルなどしては迷惑であることも理解できます。過剰な自粛は町の経済活動、強いては産業の衰退につながると思います。・・だったら、今日の懇親会、せめてアルコールを控えるなどの対応くらいは考えているのでしょうか。
「まずはビールで乾杯」等ということになるのでしょうか。
もちろん、議員会の懇親会や活動については会費(月に一万円)で運営されていますので、公費などの出費はありません。
きっと、アルコールもみなさん、召し上がると思います。(多分・・・)二次会?はどうだろう。
どこまでが「普通の感覚」と言って良いものか分かりませんが・・4年間の議員活動では、まだ「?」が多いこの世界でもあります。
2011年03月15日
被害に関する情報サイト
募金はすぐにできます。その他に・・できること・・と、誰もが思います。今回の規模は神戸の震災以上の被災状況です。なんとかしてあげたいと誰もが思います。でも、その規模の大きさゆえに被災された方が求めているものをどうやったら届けられるのか?あるいは、最優先されるものはなんなのか。
一刻も早く、と思う気持ちはみんな同じです。その、気持ちが今、一番役に立つ方法で行われることが必要です。
個人の支援物資の受け入れを「ご遠慮します」と言う発信も多くあります。このサイトに書かれた情報を確認することも大切だと思います。
ぜひ、参考までに

http://savejapan.simone-inc.com/
一刻も早く、と思う気持ちはみんな同じです。その、気持ちが今、一番役に立つ方法で行われることが必要です。
個人の支援物資の受け入れを「ご遠慮します」と言う発信も多くあります。このサイトに書かれた情報を確認することも大切だと思います。
ぜひ、参考までに

http://savejapan.simone-inc.com/
町長からの発信・再開!
昨日(14日の夜)に書いたように、村田町長が町長日誌を再開しました。
よかったです。
「あんたは議員だから余計に町長が発信することをチェックしてるのだろう」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、あまり町長日誌の内容に議員としてチェックするようなことはないと思っています。
でも、はやり斜里町のリーダーとしての発信の場であると思っています。だから、斜里町の公式ページにそのサイトがあるのです。
でも、今日は町長の発信の中に次のような文章がありました。
「14日の朝急きょ部長職以上の幹部職員に集まってもらい、斜里町として被災地の皆さまに何か貢献できないか、など協議。全職員に支援内容を精査・検討することを指示した。未曾有の地震被害、日本人として出来る限りのお手伝いをしなければ、と強く心に決めている。」
昨日は議会から、議長からの申し出として「支援に関する対策本部」を設置しては?と言うことを求めました。が、昨日書いたとおりです。斜里町として行政組織を持つ役場の体制で、14日の議会開催中でのとりあえず、と言う設置の難しさは理解できますが、なんとかしたい、なんとかできないかと言う声は土曜日、日曜日から出ていました。斜里町では津波警報が発令されていたので職員は12日まで38名が待機していました。
おそらく、これから「斜里町として」と町長も書いているように対応の方法を検討していくのだと思います。
「とりあえず」等といういいかげんなことを言えないのも十分理解できるのですが、斜里町内からの様々な支援に対する思いや、考え、行動を活かすように対応していくためにも、窓口の情報を提示することも必要な第一歩だと思います。
これから斜里町としての支援体制システムや内容などが広報されると思います。そこに、みんなの「できること」を組み入れて、窓口も明確にされていくと思います。それを待ちます。
今回の災害は、本当に私たちの想像を超える甚大な被害をもたらしました。そして、さらに原子力発電所の破損によりその被害は広まろうとしています。役場の職員が大勢、行方不明になっている地域もたくさんあります。住民の避難を確認するために逃げられなかった人も大勢いらっしゃるでしょう。そして、現在も家族の行方が分からない状態でも避難所や各所で、対応にあたっている人達がいます。同じ被災者なのに、と思います。それが職務とは言われても、どれほど辛いだろうと思います。
また、原子炉の作業を続けている人達たちに対してもただ、無事を祈ります。
本当に、祈るしかできない今がもどかしいです。
今日はウトロ小中学校の卒業式でした。
来賓の祝辞の中で斜里町教育委員の方が、祝辞のあとに「今回の震災被害に対して心から冥福を祈ります」という言葉を述べていました。
今日、3月15日、卒業というお祝い日であることが、なおさら深く気持ちに刻まれました。
よかったです。
「あんたは議員だから余計に町長が発信することをチェックしてるのだろう」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、あまり町長日誌の内容に議員としてチェックするようなことはないと思っています。
でも、はやり斜里町のリーダーとしての発信の場であると思っています。だから、斜里町の公式ページにそのサイトがあるのです。
でも、今日は町長の発信の中に次のような文章がありました。
「14日の朝急きょ部長職以上の幹部職員に集まってもらい、斜里町として被災地の皆さまに何か貢献できないか、など協議。全職員に支援内容を精査・検討することを指示した。未曾有の地震被害、日本人として出来る限りのお手伝いをしなければ、と強く心に決めている。」
昨日は議会から、議長からの申し出として「支援に関する対策本部」を設置しては?と言うことを求めました。が、昨日書いたとおりです。斜里町として行政組織を持つ役場の体制で、14日の議会開催中でのとりあえず、と言う設置の難しさは理解できますが、なんとかしたい、なんとかできないかと言う声は土曜日、日曜日から出ていました。斜里町では津波警報が発令されていたので職員は12日まで38名が待機していました。
おそらく、これから「斜里町として」と町長も書いているように対応の方法を検討していくのだと思います。
「とりあえず」等といういいかげんなことを言えないのも十分理解できるのですが、斜里町内からの様々な支援に対する思いや、考え、行動を活かすように対応していくためにも、窓口の情報を提示することも必要な第一歩だと思います。
これから斜里町としての支援体制システムや内容などが広報されると思います。そこに、みんなの「できること」を組み入れて、窓口も明確にされていくと思います。それを待ちます。
今回の災害は、本当に私たちの想像を超える甚大な被害をもたらしました。そして、さらに原子力発電所の破損によりその被害は広まろうとしています。役場の職員が大勢、行方不明になっている地域もたくさんあります。住民の避難を確認するために逃げられなかった人も大勢いらっしゃるでしょう。そして、現在も家族の行方が分からない状態でも避難所や各所で、対応にあたっている人達がいます。同じ被災者なのに、と思います。それが職務とは言われても、どれほど辛いだろうと思います。
また、原子炉の作業を続けている人達たちに対してもただ、無事を祈ります。
本当に、祈るしかできない今がもどかしいです。
今日はウトロ小中学校の卒業式でした。
来賓の祝辞の中で斜里町教育委員の方が、祝辞のあとに「今回の震災被害に対して心から冥福を祈ります」という言葉を述べていました。
今日、3月15日、卒業というお祝い日であることが、なおさら深く気持ちに刻まれました。
2011年03月14日
議会最終日なんとも残念で
今日、14日、斜里町議会が終わりました。
今回の大地震に対し、被災されたから亡くなられた方に対し哀悼の意を表した議長の挨拶から始まり、町長が今回の地震の斜里町内の対応などについて報告を行いました。その後、来年度の予算に対しての質疑後、全体をまとめる総括質疑がありました。
昨日(13日)も書きましたが、斜里に住んでいる誰もが、今回の大地震の被害に対して「できることはなんんだろう?」「今、なにができるだろう」と言う気持ちだと思います。
昨夜(13日)に、議会議長(K議員)から連絡があり、斜里町でできることとして「支援対策本部」を設置してはどうかと、町長に言ってみようと思う。義援金にしろ、何かを送ってあげたいという人に対しても、あるいは応援に駆けつけたいという町民に対し、例えば、個人的な範囲での物資は送らない方がいいことや、集まった義援金をまとめることとか、さらには医療の提供、昔のような「疎開」の受け入れなど、斜里町内でできることを、分散して実施するのではなく、一度、情報やお金、対応を集めて発信する取り組みを行ってはどうか・・と言う事でした。
朝になって副議長のA議員も同じ意見でした。
私は大賛成し、それができたらどれほど良いだろう、と思いました。
しかし、結果は「朝、政策会議を開き今後に向けて速やかな対応を整えることを職員に言った」そうです。
結局、今現在も義援金の受け入れなど窓口はあるが、今の時点で誰も何も言ってこない・・など、特に斜里町として積極的に動くことはないようです。期待したのがバカだったかも知れないけれど。残念。
やらないこと、できないことをいくつもの理由をつけて来るのだろうけれど。結局はトップの動きだと思うけれど。
と言う訳で、昨夜、もしかしたら!と言う思いでツイートしましたが、ダメでした。残念。
網走や他の地域では補正予算を組んで復興支援寄付を出したり、町が「できること」の発信を実施しているのに。
「なんか誰かが言ってくるまで、待つかな」というのが斜里町の政策会議の結果なのだろうか。
村田町長に「町長日誌」にどうして更新していないのか、聞いてみました。
あのHPは、町長の個人開設のページではありません。斜里町の公式ホームページです。その公式ホームページにある「町長日誌」であることを、町長は理解していないのではないか?つまり、町民に伝えるべきメッセージの発信につながらないし、それは、斜里町のリーダーとして怠慢なのではないかと言いました。
町長は更新しない理由について、他のブログで自分が思っていることとは違うことを書かれていて、それで、記事を書くことをやめてしまった・・と、言いましたが、だったら、その理由を書けばいいのではないか?と聞きました。
「早速、明日から更新しますよ」との答弁でした。さて、明日は昨年の11月9日?以来4ヶ月ぶりの更新になるのでしょうか?
今回の大地震に対し、被災されたから亡くなられた方に対し哀悼の意を表した議長の挨拶から始まり、町長が今回の地震の斜里町内の対応などについて報告を行いました。その後、来年度の予算に対しての質疑後、全体をまとめる総括質疑がありました。
昨日(13日)も書きましたが、斜里に住んでいる誰もが、今回の大地震の被害に対して「できることはなんんだろう?」「今、なにができるだろう」と言う気持ちだと思います。
昨夜(13日)に、議会議長(K議員)から連絡があり、斜里町でできることとして「支援対策本部」を設置してはどうかと、町長に言ってみようと思う。義援金にしろ、何かを送ってあげたいという人に対しても、あるいは応援に駆けつけたいという町民に対し、例えば、個人的な範囲での物資は送らない方がいいことや、集まった義援金をまとめることとか、さらには医療の提供、昔のような「疎開」の受け入れなど、斜里町内でできることを、分散して実施するのではなく、一度、情報やお金、対応を集めて発信する取り組みを行ってはどうか・・と言う事でした。
朝になって副議長のA議員も同じ意見でした。
私は大賛成し、それができたらどれほど良いだろう、と思いました。
しかし、結果は「朝、政策会議を開き今後に向けて速やかな対応を整えることを職員に言った」そうです。
結局、今現在も義援金の受け入れなど窓口はあるが、今の時点で誰も何も言ってこない・・など、特に斜里町として積極的に動くことはないようです。期待したのがバカだったかも知れないけれど。残念。
やらないこと、できないことをいくつもの理由をつけて来るのだろうけれど。結局はトップの動きだと思うけれど。
と言う訳で、昨夜、もしかしたら!と言う思いでツイートしましたが、ダメでした。残念。
網走や他の地域では補正予算を組んで復興支援寄付を出したり、町が「できること」の発信を実施しているのに。
「なんか誰かが言ってくるまで、待つかな」というのが斜里町の政策会議の結果なのだろうか。
村田町長に「町長日誌」にどうして更新していないのか、聞いてみました。
あのHPは、町長の個人開設のページではありません。斜里町の公式ホームページです。その公式ホームページにある「町長日誌」であることを、町長は理解していないのではないか?つまり、町民に伝えるべきメッセージの発信につながらないし、それは、斜里町のリーダーとして怠慢なのではないかと言いました。
町長は更新しない理由について、他のブログで自分が思っていることとは違うことを書かれていて、それで、記事を書くことをやめてしまった・・と、言いましたが、だったら、その理由を書けばいいのではないか?と聞きました。
「早速、明日から更新しますよ」との答弁でした。さて、明日は昨年の11月9日?以来4ヶ月ぶりの更新になるのでしょうか?
2011年03月13日
斜里からできること
「なんとかできないものでしょうか」という思いを、議長に伝えました。明日の議会後の送別会も含めて、斜里町としてなんとかできないものだろうか・・と言う思いを含めて話をしました。
ツイッターでも何人もの人から返事をもらい、電話ももらいました。
みんなが考えていることですね。
ツイートを抜粋してみました。
そして、一番下のツイートです。明日、議会が始まる前に動きがあると思うのです。
ツイッターでも何人もの人から返事をもらい、電話ももらいました。
みんなが考えていることですね。
ツイートを抜粋してみました。
そして、一番下のツイートです。明日、議会が始まる前に動きがあると思うのです。
SAKURAI_AKEMI / 桜井あけみ
ニセコ町長のツイートから、消防職員の選抜チーム結成の動きも出ています。斜里町として・・は、まだ、何もないけどきっと明日の議会で話が出て、検討しますと言うやりとりにはなると思うけど、パフォーマンス的な気がする。こんな中で飲み会?やる気かな。 at 03/12 16:29
ニセコ町長のツイートから、消防職員の選抜チーム結成の動きも出ています。斜里町として・・は、まだ、何もないけどきっと明日の議会で話が出て、検討しますと言うやりとりにはなると思うけど、パフォーマンス的な気がする。こんな中で飲み会?やる気かな。 at 03/12 16:29
SAKURAI_AKEMI / 桜井あけみ
@shiretoko4 オーロラの実施、私も被災者の救援、今後への復興の願いを込めます。祈りや願いは届くし、大きな力になるはず。がんばれ、みんな!知床から祈りが届きますように。 at 03/13 01:04
@shiretoko4 オーロラの実施、私も被災者の救援、今後への復興の願いを込めます。祈りや願いは届くし、大きな力になるはず。がんばれ、みんな!知床から祈りが届きますように。 at 03/13 01:04
SAKURAI_AKEMI / 桜井あけみ
地震、津波、火災、そして被ばくの恐怖。その救助、対応にとても多くの人達が命がけでがんばっています。とにかく、早く最善の対応をとること。それと同時に私たちは、これからの社会インフラ、暮らし方の有り様を考えなくてはならなくなるでしょう。がんばろう。 at 03/13 01:14
地震、津波、火災、そして被ばくの恐怖。その救助、対応にとても多くの人達が命がけでがんばっています。とにかく、早く最善の対応をとること。それと同時に私たちは、これからの社会インフラ、暮らし方の有り様を考えなくてはならなくなるでしょう。がんばろう。 at 03/13 01:14
SAKURAI_AKEMI / 桜井あけみ
もしかしたら、斜里町で支援対策本部が設置されるかも知れない。何かできないかという町の人達も支援金など窓口が町だと安心だし、なにより斜里でもできることを考えられる。個人としてできることを考えるのも必要だけど、斜里町としてできることを考えるのはもっと必要。声に出すことから始まるものだ at 03/13 01:31
もしかしたら、斜里町で支援対策本部が設置されるかも知れない。何かできないかという町の人達も支援金など窓口が町だと安心だし、なにより斜里でもできることを考えられる。個人としてできることを考えるのも必要だけど、斜里町としてできることを考えるのはもっと必要。声に出すことから始まるものだ at 03/13 01:31
それぞれが考える時・地震
3月12日の私のブログにたくさんの方がアクセスしてくれました。タイトルからの検索だったと思うのです。「大地震・・今できること」
私はツイッターやフェイスブックで情報を見ています。様々な人達の今回の震災に対しての思いが溢れています。批判や指摘も多くありますが、しかし、根底にあるのはだれもが感じる「なんとかしたい」「なんとかできないだろうか」と言う思いです。
福島の原子力発電施設の事故について、避難する人達に対して、生理食塩水を作る方法、あるいはヨードの対応、さらに不明者を探すサイトの情報など、本当にみんなが「なんとかできること」を実行しています。
ニセコ町長が地震発生時から、町内の安全確認や注意報などについて情報を発信していました。さらに消防からの派遣を検討している事、チームも結成されたことを報告していました。
それぞれの立場でできることはこれからたくさん出てくると思います。
そんな中で、専門家の人達の足手まといにならないために「何もしないこと」も支援のひとつであること、と、ツイートされているのを読みました。国民全員が自粛することを提唱するのも問題だと思うのですが、斜里町は今回の大地震を町の人達の安全を確保することの教訓、参考、にしっかり活かさなければなりません。
明日は、今議会の最終日の予定です。
新年度予算に対しての審議が途中ですし、最後の総括質疑も行われます。
そして、おそらくは今回の被災に対して斜里町としての支援体制についての質問も出されると思います。
議会終了後は総務文教常任委員会の所管である総務部、教育委員会等、関係のある部署の職員が退職するために議会の委員会主催で送別会を行う予定です。町内の料理屋さんで行う予定です。退職される方々への感謝と慰労の気持ちはたくさんあります。今回の大地震がおきたことと、斜里町の議会の常任委員会でおこなう送別会は関係のあることではありませんし、自粛の範囲を広げることも如何かとは思います。
でも、おそらく個人的に、私の気持ちとしてはお酒を戴く気持ちにはならないと思います。(もともと車の運転があり、飲酒はできませんが)きっと、参加されるみなさんの気持ちも同じだと思います。
退職されるみなさんに「おつかれさま」と感謝の気持ちを込めての参加です。
さて、最終日に向けての準備を行います。
一刻も早い救出を祈りながら、被災状況を報じるラジオを聞きながら、節電を心がけて・・がんばります。
私はツイッターやフェイスブックで情報を見ています。様々な人達の今回の震災に対しての思いが溢れています。批判や指摘も多くありますが、しかし、根底にあるのはだれもが感じる「なんとかしたい」「なんとかできないだろうか」と言う思いです。
福島の原子力発電施設の事故について、避難する人達に対して、生理食塩水を作る方法、あるいはヨードの対応、さらに不明者を探すサイトの情報など、本当にみんなが「なんとかできること」を実行しています。
ニセコ町長が地震発生時から、町内の安全確認や注意報などについて情報を発信していました。さらに消防からの派遣を検討している事、チームも結成されたことを報告していました。
それぞれの立場でできることはこれからたくさん出てくると思います。
そんな中で、専門家の人達の足手まといにならないために「何もしないこと」も支援のひとつであること、と、ツイートされているのを読みました。国民全員が自粛することを提唱するのも問題だと思うのですが、斜里町は今回の大地震を町の人達の安全を確保することの教訓、参考、にしっかり活かさなければなりません。
明日は、今議会の最終日の予定です。
新年度予算に対しての審議が途中ですし、最後の総括質疑も行われます。
そして、おそらくは今回の被災に対して斜里町としての支援体制についての質問も出されると思います。
議会終了後は総務文教常任委員会の所管である総務部、教育委員会等、関係のある部署の職員が退職するために議会の委員会主催で送別会を行う予定です。町内の料理屋さんで行う予定です。退職される方々への感謝と慰労の気持ちはたくさんあります。今回の大地震がおきたことと、斜里町の議会の常任委員会でおこなう送別会は関係のあることではありませんし、自粛の範囲を広げることも如何かとは思います。
でも、おそらく個人的に、私の気持ちとしてはお酒を戴く気持ちにはならないと思います。(もともと車の運転があり、飲酒はできませんが)きっと、参加されるみなさんの気持ちも同じだと思います。
退職されるみなさんに「おつかれさま」と感謝の気持ちを込めての参加です。
さて、最終日に向けての準備を行います。
一刻も早い救出を祈りながら、被災状況を報じるラジオを聞きながら、節電を心がけて・・がんばります。
2011年03月12日
大地震・・今できること
3月11日・午後2時46分
大きな揺れが起こり、その後の連発的な地震で大きな被害が出ています。
斜里では議会中。新年度予算審議中、歳入についての質疑中でした。11日午後3時過ぎに斜里町にも津波注意報が出たために、議会は休会になりました。残りの審議は14日、月曜日に行うことになりました。
できることはなんなのか。
斜里町としても今後の支援体制について考えなくてはならないと思います。もちろん、直接的な支援体制も考えなくてはならないでしょうし、間接的な支援もについても動き出す必要があると思います。
被災された人達の、一刻も早い捜索と救援を祈るばかりです。
それにしても、一番恐れていたことが起きようとしています。原子力に対する鷹揚な対応、思い上がった未熟な未成熟な技術に対するおごり。それが、いま、このような状況の中で起こるということは、ひどい事だと思います。
この地域での、この被害に追い打ちをかけるものが、人の力で防ぐことなどできない状況のものであることに、恐ろしさを感じます。
この、原子力発電所の状況は、今後の救援活動をさらに難しいものにしていくことは間違いありません。
あらためて、私たち、一人ひとりのしっかりとした考えと、未来にむけた方向性を今一度、検証するときに来ています。
しっかりと現状を受け止めて、現実から目を背けることなく、できること・に対応していくべきだと思います。
大きな揺れが起こり、その後の連発的な地震で大きな被害が出ています。
斜里では議会中。新年度予算審議中、歳入についての質疑中でした。11日午後3時過ぎに斜里町にも津波注意報が出たために、議会は休会になりました。残りの審議は14日、月曜日に行うことになりました。
できることはなんなのか。
斜里町としても今後の支援体制について考えなくてはならないと思います。もちろん、直接的な支援体制も考えなくてはならないでしょうし、間接的な支援もについても動き出す必要があると思います。
被災された人達の、一刻も早い捜索と救援を祈るばかりです。
それにしても、一番恐れていたことが起きようとしています。原子力に対する鷹揚な対応、思い上がった未熟な未成熟な技術に対するおごり。それが、いま、このような状況の中で起こるということは、ひどい事だと思います。
この地域での、この被害に追い打ちをかけるものが、人の力で防ぐことなどできない状況のものであることに、恐ろしさを感じます。
この、原子力発電所の状況は、今後の救援活動をさらに難しいものにしていくことは間違いありません。
あらためて、私たち、一人ひとりのしっかりとした考えと、未来にむけた方向性を今一度、検証するときに来ています。
しっかりと現状を受け止めて、現実から目を背けることなく、できること・に対応していくべきだと思います。
2011年03月06日
ウトロの雪と楽しむ会37
タイトルに37とあるのは、この「雪と楽しむ会」が今年で37回目だと言うことです。最初、ウトロに越してきたときは自治会活動がなんて盛んなところだろう!と思う程度でしたが、ウトロ自治会の班という単位で皆で親睦を強めたり、行事に参加すると言うことは楽しいことでした。
でも、最初の頃は漁師さんの荒っぽい言葉や、決めつけ半分の物言いに驚いたり、涙を流したりいろいろとありましたが、このつながりがウトロのまちづくりの基盤になっていると最近はつくづく思います。
このようなウトロのイベントを毎年、毎年つないできた自治会の役員のがんばりに敬意を表します。
とは言っても、最近は少子化の流れと、自治会に加入する人の減少などで参加者は減っています。今年の参加班は7班と聞きました。以前は倍の15班くらいがありましたから、それは賑やかなものでした。
2004年の雪と楽しむ会のこと
2006年の雪と楽しむ会のこと
2010年の雪と楽しむ会のこと
こうしてみると、けっこう、我が家にとっても大きなイベントなのだと思う、この「雪と楽しむ会」ですね。
ウトロの雪と楽しむ会がどのようなものかは、これまでの紹介をリンクさせていただければ分かると思います。
今年は、4月に控えた町長選挙もあり村田現町長と馬場町長候補のお二人が会場に来ていました。それぞれのテントを回って、最後に私たちのテントに来たときに二人がかち合うことになりましたが、お互い、穏やかに言葉を交わしていました。選挙戦が始まっても、住民が眉をしかめるような批判合戦の戦いはやめて欲しい・・そう思いました。
それにしても、今日は本当にお天気が良く、暖かで楽しい一日でした。
ちなみに、我が14班は総合2位になりました!

海には流氷もびっしり・お天気が良かった!

小さな子ども対象にお母さんたちの「よみかたり」

たくさんの子どもたちが聞き入っていました。
でも、最初の頃は漁師さんの荒っぽい言葉や、決めつけ半分の物言いに驚いたり、涙を流したりいろいろとありましたが、このつながりがウトロのまちづくりの基盤になっていると最近はつくづく思います。
このようなウトロのイベントを毎年、毎年つないできた自治会の役員のがんばりに敬意を表します。
とは言っても、最近は少子化の流れと、自治会に加入する人の減少などで参加者は減っています。今年の参加班は7班と聞きました。以前は倍の15班くらいがありましたから、それは賑やかなものでした。
2004年の雪と楽しむ会のこと
2006年の雪と楽しむ会のこと
2010年の雪と楽しむ会のこと
こうしてみると、けっこう、我が家にとっても大きなイベントなのだと思う、この「雪と楽しむ会」ですね。
ウトロの雪と楽しむ会がどのようなものかは、これまでの紹介をリンクさせていただければ分かると思います。
今年は、4月に控えた町長選挙もあり村田現町長と馬場町長候補のお二人が会場に来ていました。それぞれのテントを回って、最後に私たちのテントに来たときに二人がかち合うことになりましたが、お互い、穏やかに言葉を交わしていました。選挙戦が始まっても、住民が眉をしかめるような批判合戦の戦いはやめて欲しい・・そう思いました。
それにしても、今日は本当にお天気が良く、暖かで楽しい一日でした。
ちなみに、我が14班は総合2位になりました!
海には流氷もびっしり・お天気が良かった!
小さな子ども対象にお母さんたちの「よみかたり」
たくさんの子どもたちが聞き入っていました。
2011年03月01日
議員 雑感2
議員年金が廃止になります。
議員年金は、掛け金の半分を自治体が負担していました。そして、町村合併に伴い、議員の数は減りました。町村合併をしないまちでも、斜里町を例に取れば、議員の定数は26名だったときから、現在は14名になっているように全体数が減りました。
そして、この経済状態の不安定な中で、運用益もマイナスになったと思います。当然、年金の運用はもう、不可能になりました。
国会議員の年金も以前に廃止になりましたので、正直、4年前に「あれ?まだ年金があったの?!」と驚きました。
結局、これまでかけてきた年金の約8割を受け取るか、受給資格のある人は(3期12年以上)年金として受給できるかの二通りの方法から選ぶことができるようになりました。
この説明を受けた時に、「8割しか戻らないなんて、だれが責任を取ってくれるのか!」と言う人もたくさんいましたが、この年金は組合員で構成されたものですから、こんなに破綻寸前まで、それでも行政に「なんとかしろ」と言ってきた組合員の責任でもあると思います。
現在の情勢、経済的な問題、さらには社会的な状況の変化など、議員に限らずここ数年で変わってきたことは多々ありますが、時々、議員という常識や感覚が「はてな?」と、思うことが多いのも現実です。しかし、この「はてな?」の感覚が議員であると思うこと自体が間違いです。もはや、「昔は〜」なんて言っている状況ではなくなっています。
政務調査費は必要なのではないでしょうか?と言うと、「これ以上、報酬を下げろとか、定数を減らせとか、色々言われたりするんだから、余計なことは言わない方がいい・・」と言いながら、余計な仕事は増やすなと言う姿勢に、議会のあるべき姿に戻すべきだという覚悟がさっぱり見えてこない・・と、思うのは、あながち私の間違いではないように思います。

流氷原に映る知床連山の影・朝日と
議員年金は、掛け金の半分を自治体が負担していました。そして、町村合併に伴い、議員の数は減りました。町村合併をしないまちでも、斜里町を例に取れば、議員の定数は26名だったときから、現在は14名になっているように全体数が減りました。
そして、この経済状態の不安定な中で、運用益もマイナスになったと思います。当然、年金の運用はもう、不可能になりました。
国会議員の年金も以前に廃止になりましたので、正直、4年前に「あれ?まだ年金があったの?!」と驚きました。
結局、これまでかけてきた年金の約8割を受け取るか、受給資格のある人は(3期12年以上)年金として受給できるかの二通りの方法から選ぶことができるようになりました。
この説明を受けた時に、「8割しか戻らないなんて、だれが責任を取ってくれるのか!」と言う人もたくさんいましたが、この年金は組合員で構成されたものですから、こんなに破綻寸前まで、それでも行政に「なんとかしろ」と言ってきた組合員の責任でもあると思います。
現在の情勢、経済的な問題、さらには社会的な状況の変化など、議員に限らずここ数年で変わってきたことは多々ありますが、時々、議員という常識や感覚が「はてな?」と、思うことが多いのも現実です。しかし、この「はてな?」の感覚が議員であると思うこと自体が間違いです。もはや、「昔は〜」なんて言っている状況ではなくなっています。
政務調査費は必要なのではないでしょうか?と言うと、「これ以上、報酬を下げろとか、定数を減らせとか、色々言われたりするんだから、余計なことは言わない方がいい・・」と言いながら、余計な仕事は増やすなと言う姿勢に、議会のあるべき姿に戻すべきだという覚悟がさっぱり見えてこない・・と、思うのは、あながち私の間違いではないように思います。
流氷原に映る知床連山の影・朝日と
うれしいニュース!
今日、総務文教常任委員会で副町長から報告がありました。
国保病院の常勤の内科医師が決定したそうです。「よかった!」です。
現在も非常勤で来ていただいていた佐藤医師だそうです。
昨年の4月のブログで(確か4月3日)あまり病院にお世話になったことのない自分の国保病院での診療のことを書きました。その時に診察してくださったのが佐藤医師でした。そこで、私は先生に質問をしました。
「こここなら!と」2010年4月3日のブログです。良かったら読んでみてください。
きっと、ここ斜里にやりがいを感じてもらったのだと、そして「その場所を決める時に」斜里は先生の選択肢のひとつになったんだと思うと、とても嬉しく思えました。
さまざまなつながりが、この結果を生んだのだと思いました。
私たちの町の病院として、まだまだやらなければならないことはたくさんあります。そして、病院に対する私たちの在りようも考えて行かなければなりません。
町の病院を大切にしていきましょう。

知床連山の朝
国保病院の常勤の内科医師が決定したそうです。「よかった!」です。
現在も非常勤で来ていただいていた佐藤医師だそうです。
昨年の4月のブログで(確か4月3日)あまり病院にお世話になったことのない自分の国保病院での診療のことを書きました。その時に診察してくださったのが佐藤医師でした。そこで、私は先生に質問をしました。
「こここなら!と」2010年4月3日のブログです。良かったら読んでみてください。
きっと、ここ斜里にやりがいを感じてもらったのだと、そして「その場所を決める時に」斜里は先生の選択肢のひとつになったんだと思うと、とても嬉しく思えました。
さまざまなつながりが、この結果を生んだのだと思いました。
私たちの町の病院として、まだまだやらなければならないことはたくさんあります。そして、病院に対する私たちの在りようも考えて行かなければなりません。
町の病院を大切にしていきましょう。
知床連山の朝