2010年12月30日

さよなら2010年

12月議会が終わってから、今日、30日までは「・・・さてと」なんて言う言葉も出ないほど、次々と目まぐるしい時間が流れていきました。
3ヶ月に一度の定例議会は、たくさんの補正予算などの他に、ゴミ処理場の問題、病院の問題、その他にも日常生活に関わりのある事柄が議案として出てきます。その、内容を知ること、調べることから始まり、会派説明、常任委員会、そして一般質問の作製と、通告、その後に議会運営委員会、それらを経て本議会に臨みます。
本会議中にも、広報委員会、議会運営委員会、などが開催され、本議会が終わったあとには次に発行する議会広報の編集会議があります。
今議会中には、議会基本条例特別委員会も開催されました。

4年に一度の恒例と言うことらしいのですが、ウトロのホテルに一泊で、議会議員と町長、副町長、教育長、そして各部の部長たちとの懇親会が開催されました。今回は知床プリンスホテルで宴会、2次会とそして宿泊で実施。私は泊まらずに2次会終了後に自宅へ戻ってきましたが、楽しい時間を過ごさせていただきました。
もちろん、この懇親会の経費は公費ではなく議員は議員会の会費から、職員は実費で開催されています。

その懇親会の終了後からは、私の議員活動の「議会レポート」の作製に取りかかります。毎定例会に今回の議会で何が議論されたのか、どのようなことが決定したのか、その過程は、その意味は、などをA3裏表に書いていきます。
それを印刷して、折って、封筒印刷をして入れて、封をして、そして発送です。
この作業は、みんなに手伝ってもらいながら行っていきます。この「議会レポート」の発送が終わらなければ、私の定例議会は終わりません。

19日には福祉協議会のふれ愛コンサートへ。

いくつかの会議、いくつかの打ち合わせ、なんだかんだと自分のことができる時間になったのは年賀状を仕上げた26日。28日には大掃除を、なんと、私の後援会長さんに手伝ってもらいながら実施。床にワックスを掛けて翌日の29日、帰省する娘夫妻を女満別空港に迎えに行くギリギリまで、残った床のワックスがけを行って、無事に終了。

そして、今日、30日に久しぶりにゆっくりと冬のウトロを見て歩きました。
思いがけない、懐かしい人にも友人の家で会えましたし、楽しいつながりも発見しました。
夕方には今年の春に摘んだヨモギを使って草餅を作り、みんなでほおばりました。
夜には思いがけない手打ち蕎麦をいただき、明日の年越しそばになります。

幸せの尺度や価値観は人それぞれに違います。その違いはあって当たり前。でも、楽しいことや嬉しいことということには、大きな尺度の違いや価値観は生じないはずです。みんな、なんとなく嬉しいことは共通。
そんなことを日常のなかで感じられる日々が送られる生活であることが大切。そんな生活が送ることの出来るまちづくりを実践したいと思います。

今年はとてもいろいろなことがありました。
私にとっては家族の大切な節目の年にもなりました。議員活動も生活が基盤だと思っています。自分の日常生活で心がけていることの視点を忘れずに、背伸びせずの価値観を持って・・
がんばっていこうと、やれやれ、の一年をふりかえってみました。

さよなら2010年。

来年は、もう少し時間を有効に、効率的に使っていくように心がけましょう。

読んでくださるみなさん、また、来年もよろしくお願いします。

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 12月30日・岩尾別川

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 静かな河川のほとりで




posted by あとむ at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年12月14日

この国はどうなってんの?

政府は、日本政府は、小学校の35人学級実施を見送った・・らしい。「見送りか、35人学級」
何が、先進国だろう。ノーベル賞の受賞をこれだけ取り上げたり、学力の低下を嘆いたり、少子化対策とか、子どもの環境云々と言いながら、学校ではいまだに40人の教室で授業を受ける子どもたち。

この現状は、あまりにも情けない。

人件費を抑制と言うけれど、抑制すべきは教育ではないはず。

さて、現在斜里ではひしめき合う教室で勉強する子どもたちがいます。国が充てにできないならば、なんとか現場を、現状を見据えてその改善をはかるべきだと思うのです。

明日から12月定例議会が始まります。

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posted by あとむ at 13:05| Comment(1) | TrackBack(0) | ・・思うのですが・・

2010年12月05日

ウトロの停電から

穏やかな日が続きますね・・と、12月2日の会派説明会でそんな言葉を交わしていたのに。12月3日、朝はまだ穏やかで、私はビニールを取り除いた畑に残っているルッコラを「まだ、食べられる!」と摘んできたりしていました。昼近くには風が強くなり、午後には強い雨も。夕方には外へ出るのもためらうほどの暴風雨になりました。

なんの前触れもなくブツンと切れた停電でしたから、これは長い・・とこれまでの経験から判断しました。家がゆれるほどの暴風雨。
ウトロ支所には間もなく役場の職員が本町からも駆けつけ、対応にあたりました。

わが家は薪ストーブなので暖房については問題はないのですが、大多数の世帯は電気が必要な暖房器具です。しかも、表に出るのも危険を感じる暴風雨です。どこへも移動などできない状態で多くの人達はどうしたのでしょう。
わが家へは小さな赤ちゃんのいる家庭から、寒くて困っていると連絡がありました。以前使っていたポット式の灯油ストーブを持っていたので貸してあげることにしました。アラジン式ですから灯りにもなります。取りに来たご主人は暴風雨の中大変でした。しかし役に立ったと聞いて良かったと思いました。
あとで、聞いたのですが、ウトロの支所にもポット式の石油ストーブを用意していたとのこと。
でも、みんなは知っていたのでしょうか?

その後、広報車で各ホテルが避難場所として受け入れをしてくれるという知らせが入りました。
しかし、その広報車も、暴風雨の中、なかなか広報が聞き取れません。窓を少し開けて聞いていても、移動が早すぎて聞き取れないのです。広報の方法も考えなくてはなりません。ホテルへは数家族が移動したと言うことでしたが、高齢者の一人暮らしのかたや、小さな子供の居る方、移動手段のない方はどうすれば良いのでしょう。

一般電話はほとんどが停電になると使えません。
携帯も、長時間の停電では使用できなくなります。

幸い、北海道電力の初動判断で間もなくウトロ支所に通電され、その後電源車がやってきて夜中にかけて応急復旧が行われました。
翌朝には全世帯に電気が通って一安心でした。

しかし、この数時間の停電で、多くの課題も出てきました。
それらの課題や問題点を、町はしっかりと把握して今後に活かして欲しいと思います。

最近は、あまりなかった停電。前回は雷が落ちて通信回線が寸断など、やはり予期せぬ事が起きるのが災害です。
神頼み・・ではなく、起きてみなければ・・ではなく、いくつかのこれまでの教訓を活かした対応を取れるようにしたいものです。

わが家では、つくづく電気に頼って生活であることを実感。頼りすぎ・・の程度をあらためて考える機会にもなりました。

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 電力会社の対応・電源車?大きな電池の車だろうか?

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 電線に電気を供給中。

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 12月4日嵐が去ったあとの日没直前に顔を出した夕陽。



posted by あとむ at 20:32| Comment(1) | TrackBack(0) | まちのこと