最初は、行財政改革のことだったと思う。町長に就任して1年が過ぎて、どうして取り組まないのか?と質されたときに「自分の力のなさが原因、申し訳ないと思っている」と、一般質問の場で「あやまり」ました。この時は、「謝られても、やることをやってないんだから・・早く取り組んで欲しい」と思いましたが、正直驚きました。「自分の力のなさが・・」と言われたら、なんて言えばいいのだろう?町長に。
次は、新しいゴミ処理場の問題で建設予定地が決まらないとき。
そして、今回は病院問題で、議会でも、説明会でも、町長は「お詫びいたします」を何度も言っています。
あやまってすむ問題ではない・・と言いますが、そもそも「あやまる」って言葉は漢字で書くと「謝る」ですが、同じ音で「誤る」もあります。「誤りを謝る」ってこともあります。謝罪や謝ることは、自分の行動結果を認めるから謝るわけです。
でも、このあやまる行動には実は、とても奥の深い意味があるはずで、
たとえば、走っちゃいけないのに、走り回って置物の花瓶を壊した子供が居て、謝るとしたら、「ほら、ね、走るからぶつかって壊してしまったんだよ」と言うことを言われるか、あるいは自分で「走らなかったら壊れなかった」とその原因を検証するでしょう。その、検証を体験、あるいは思考して「あやまる」。そして、ここは走る場所ではないことを学ぶわけ。
「あやまる」のは実は簡単にその行為に至るものではないはずで、今回の病院の問題は、まだまだ謝る前にやることがあるはず。
たとえば、町長が公約で掲げていた「公設民営化」。この公約が原因で、医師がやめてしまうのだろうか?
私は、ちょっと違うと思っています。
コメントにも書いてくださっています「斜里を苦渋の思いで去る医師が残した山積する問題」を、もう一度丁寧に考えてみなくては、解決もできないでしょう。
病院のスタッフと一緒に取り組まなくてはならないことが、まだまだあるはずです。
もうひとかたのコメントにもあります「医師が国保病院で働きやすい環境をつくることが、生活を守ることになると思います。」とおっしゃるとおり、4月にむけての体制を整えて行かなくてはなりません。
それらの、新しい医療環境を想定された、新年度予算が組まれているのでしょうか。
病院内では、医師やスタッフを交えた、話し合いがもたれたのでしょうか。
不足していたコミュニケーションは、充分とれているのでしょうか。
3月3日から始まる議会を前に、昨年の6月からの流れをもう一度整理しています。
話は変わりますが、南米のチリで起きた地震が心配です。現地は夜中。しかもあれだけ規模の大きな地震です。災害に対しての備えをもう一度、再点検ですが・・自然災害は恐いです。
のびして・・お〜〜また、また、あくびのキタキツネ