たとえば、議長が「他に何でも良いですから何かありませんか?」なんて聞いてはくれません。ですから、質問したいときは一般質問で。
それでも、質問したいときはがんばって「関連」するきっかけを探します。先輩議員諸氏は(積極的に質問する人ですが・・)「〜あ〜、ここから来た・・」と思うような所を糸口にします。
今、臨時議会では台風被害の専決処分、ゴミ処理場のベルトコンベアの故障の専決、そして昨日も書きました財産取得、そして特別職、役場職員の給与削減についての条例改正でしたが、その中には特別会計(水道や病院)も含まれていました。
そこで、町長の町政報告にもあった、今回の12月からの診療体制についての質問が出されました。
非常勤医師ががんばって日中の診療体制を維持していくシフトですが、そのお知らせの前段の文章について、現状はどうなっているのか質問が出されました。
何度読んでも、6月のチラシもそうでしたが、この病院の設置責任者はいったい誰なの?と感じませんか?
なぜ、転院、他の病院への紹介予定が遅れたのか、「〜予定でありましたが、網走医師会や病院等への要請、協議の遅れなどにより・・」と書いていますが、どうして遅れたのでしょう?担当する人員がいなかったのでしょうか?患者さんの調査が遅れたのでしょうか?
もう一度、冷静にあのチラシを読んでみてください。
それは、今回のこの問題(医師が足りないのに何もせずに、結果、この状態になることを分かっていたのに何もせず、6月に医師がいないからこうなります・・)に限らず、野津医師が辞表を出し、バタバタして、今回も一名の医師が4月から来てくれる・・と言うことでなんとなく「よかった」感で、でも実は何も変わらない状態で、12月からとりあえずの体制をとって町民には「〜予定だったのに〜出来ない結果となりました」と伝えるだけ。
町は何をしてきたのでしょう?
この現状はこれまでと何ら変わらないのではないかという質問に、「12月からこの体制だけど4月にはなんとか内科医3名体制でスタートしたい」と答えた町長。
しかし、町民説明会で「野津医師の慰留に全力を注ぐ」と言った町長は、その後、どうやって慰留に努めたのか?との質問には「野津医師の3月以降の動きについて風の噂で耳に入ったので・・そのことを考えると遠慮した方が良いのではと思い、一度だけ行ったがその後はやめている」と答えた町長。
誰もが、首をかしげ・・その矛盾した回答に「はてな?」と思ったのは私だけではないでしょう。「3名の体制ってのは、じゃ、なんなの?」
野津先生が何故、やめることになったのか?
こんなに大変な病院、もうイヤだ!と言うなら、もうすでに辞めているでしょう。でも、一名の常勤体制になっても救急患者は受け入れ、自分の患者さんの診療も続けているのです。
医師が、これまでずっと続けてきた町への提言、12月には一名体制になることの町民への周知とその対応も、町が積極的に動いたわけではなく、医師が提言し町を促してきたと言う状態が、過酷な勤務以上に「異常な体制」だと言えるのではないでしょうか。
斜里町の医療体制をどう考えるのか?それを打ち出すのは町の仕事です。
自分たちの病院の医療方針を明確にしなければ、これから勤務する医師にとっても、これまでと同じような問題を抱えることになるかも知れない。
6月のチラシ以降、動きかけた全体の流れも、なんとなく過ぎてしまった感がある中、町は「やることはやっている」「一生懸命やっている」と繰り返します。
医師が見つかれば問題はない、それで解決と言う対応に、大きな社会問題として覆い被さる現状だけではない、さらに大きな斜里町の問題が加わっていると思います。
住民公募のメンバーも加わり構成されている「斜里町地域医療協議会」の会合が何度か積極的に開催されています。流されてしまうような組織ではなく、本当にいまこの町の医療環境に何が必要なのか、真剣に議論されているようです。
相変わらず・・「議会はだめだ〜、なんもしてない」と言われ歯がゆい思いをしています。担当委員会ではないので、さらに情報はなく、担当委員会の動きも余り聞こえてきません。本当に・・私が言うのもなんですが・・議会も何をやっているのでしょう。
チラシにある「新規入院患者停止中の現在も50人程度が入院している状況です」と書かれた家族の方や、ご本人はどんな気持ちだろう。
何もかもが、後手後手・・で責任のたらい回し。
なんとかしなきゃ。
まだ、名前を調べていないシジミチョウ・・ナンダロ?
「アマミナミウラシジミ」らしい・・