個人の利害ばかりが目につくように思える、現在の国政もそう。

美しいタンチョウですが、ずいぶんごちゃごちゃたくさんいて驚きました。
評論家も多いと思う。「〜だから、そう言ったのに」とか「こうなると思っていた」とか、なかなか「だからそのために、こうしよう」とか「こうしたら」と言う話が出てこない。
かみ合わない議論、ずれている論議、いつのまにか同じ話を繰り返し。
思うのは・・議論に慣れていない人達が多く、だから協議して進めることや、議論して確認し合うことができないのだと思う。
ご存じですか?おおかたの議会はなぜか、議員間で議論する場がないのです。
どうしてでしょう?
的外れな意見を述べても、他に議員が「それちょっと、違いません?」という場面は今の斜里町議会にはないわけで、そこんとこが「不思議」。
議論や協議は他の意見を聞かなければ成立しない。
他の意見を聞かない理解しない人が集まっても・・それは、協議や議論にはならない。
なんだか、それっておかしくない?