2009年01月22日

こじれた気持ちの修復って

友人や、家族や、恋人とのケンカや気持ちのずれと同じかも知れない。
多分、多くの「こじれた」問題はそうだと思うけど、これに「利害」や「立場」が加わると、なかなか厄介なことになる。

2008/3/25
直島のベネッセハウス

昨日から、アメリカ大統領の話題でいっぱいなマスコミ。
でも、彼の言っていることには、大きく頷ける。
でも、こんなことを言うと「前途は多難で、だれがなっても同じだよ」と多くの人は言うかも知れない。きっとそうなのだと思う。
でも、私が魅力的にうらやましく感じたことは、基本的な考え方。

「責任をとる」って言葉、日本人は好きだよね。特に最近は議会関係でも行政でも、すぐに「責任問題」とか「責任をとって」と言うけれど、本当の責任ってなに?と言いたくなる。

今回の斜里町のゴミ処理場の問題だって、もう、10年以上も前から分かっていた事業だし、計画が立てられてきたこと。2007年5月に新しい町長になり、議員の人数も6名も減って14名に。
そもそも、現在の処理場のリミットが2011年だと言うのに、それまでの行政は何をやっていたの?
当然、今回の問題が突然現れた問題ではなかったはず。誰かが、どこかで、楽で安易な選択をしてきた結果ではないだろうか?

こんがらがった糸口は、手を出して探さなければ見つからない。

今回のゴミ処理場の問題では、私はつくづく思う。
責任は結果を問うことではなくて、今、私たちが、あるいはその立場の人が、あるいはその職務の人が、考えて行動することなのだと。
後からついてくる「責任」をどうこうすることではないんだと。

それを、言葉で表現したアメリカの新大統領。
「そのとおり」と私は思った。
(でも、アメリカって国はあまり好きじゃないし、気をつけなきゃいけない国だとは思うけど)・・(それ以上に我が国の首相のコメントには、開いた口がふさがらなかったけどね・・)
posted by あとむ at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | まちづくり